過去

過去が変わるということ


「マチネの終わりに」 平野啓一郎 の、印象的な文章が
過去が、過去の記憶というのが、変わるということで、登場します


もし、記憶ということを、変える。記憶の印象が変わるということが
あるとしたら、それは素晴らしいともいえるし、少し怖いという
こともありそうです


素晴らしいと書いたのは、たとえば、悲しい出来事ということ
そのことを、将来への糧となるような、自分のなにか、いいほうへの
印象に変えることができる、ともとれるのです
もしかしたら、成功してる人というのは、どんどんそうしたことを
やってる、やれてるともいえるかもしれません


だいぶまえですが、田辺聖子の原作の朝ドラがあり、そのなかで
キャラクターに田辺は言わせています。「親しい人と、死をもって
別れるということは、身を引き裂かれるように、つらい出来事だ
だけど、そのつらいことが、生き残った人には、生きてるうちに
精いっぱい、生きようと、誓うことになる。この生きてるうちに
精いっぱい生きるということが、死んだ人への最大の供養だと
思うようになるからだ」


人の死。親しい人の死ということが、自分の生きてることを
客観視させ、生きてる日々をいかに、意味のあるものに
するかを、考えさせる


たとえば、十代といった、多感なときに、肉親の死にあう
というのは、本当につらいことといっていい。だけどそのことは
生きてるということを、考えるきっかけになるのではないか?


若いときというのは、どう生きるかということが、本当にわからない
と思います。いいえ、歳を重ねても、生きてることの意味って
実際のところ、わからないこと、多いのです
だけど、歳を重ねることで、若い時よりほんのちょっとだけ
このタイミングには、こうしておくのがいいんだという、経験値が
ふえるということくらいです


若い時に、人の死をもって、自分の生きてるという事実と
向き合うということ。これは大事なことと、思いました


過去は変えられるのか?
過去が、もしかして、輝いて見えるような、生き方ということが
できるとしたら、どうしたら、できるか?
ひとつの、回答とはいえないかもしれないけど、ヒントととして
思うこと。現在進行形で、自己改革をしてるということに
なります


今、断面で切った、自分自身は、まだまだ、だ、弱い面もあるし
仕事するという点においても、足らないことはある
だけど、現在進行形で、ちょっとずつでも、改善はしてる
そういうふうに、生きるということが、物事のとらえかたを
前向きにして、生きるという意味を増やすのだと、考えます


人は、生きていくのです。人と人が協力し、世の中のしくみを
作り、生きやすくするように、ちょっとずつ、変えていくのです
そのために、生きることは、意味があることとも思います


過去を、意味のあるものと感じられるように、生きる
それは、ひとつの、いいやり方だと、思いませんか?