生き方

荻原碌山、という彫刻家は、身近ながら
決して、恋してはならない、人に思いを寄せて
その苦しさを、アートに昇華させたと、見えます


その生き方の苦しさが伝わってくるような「女」
という作品を、見て、人はどんな受け止め方を
するのでしょうか


信州安曇野にある、碌山美術館はまるで教会のような
建物の中に、碌山の作品をみることができます
東洋のロダンと、称され、見る人の心をずっと
とらえつづける、萩原碌山、アートが好きならぜひ
見てほしいと思います


最近、知り合いのパートナーが虹を渡ったという知らせを
受け取りました。大切な人を送り出した、残ったその人は
どんな思いでいるのかと、少し心が苦しくなります


勝手な思いで、言えば、碌山が許されない恋を、アートに
昇華したような、やり場のない、気持ちをなにかに
かけるという、生き方ができたら、素晴らしいと、思うことです


大変勝手、かつ今書いてる人の心の様子がわからない
のに、言ってる、つぶやきだと、自覚しています
ただ、わからないから、言えるともなります
ある程度その人に近くて、その人の悲しみにシンクロ
してしまうと、何も見えないのが普通だと思います


灰谷健次郎は、小説のなかで、主人公がその大好きだった
祖父との別れということがあったときに、祖父から
自分の肉体は滅びるが、生き方、生き方の教えといった
言葉は、おまえのなかに残る、つまり自分の心は
おまえの心にずっと生き続けることになるという
セリフを言わせます


いままで生きていて、大切な人、と、思える人と
何人か会うことができました。そしてそのなかで、実際
虹を渡っていかれた方もいます。そうした人と、話したこと
教えてもらったことというのを、はたして、自分は活かせているのか


ふと、思うのは、人を育てるということについて
いっしょに日々を過ごした、先代社長からひきついだもの
それこそ、人を育てるという気持ちと言いたいのです
ですが、実際、たとえば、なにか具体的な言葉で、これこれが
大事ということを、覚えていない。ただ「聞く力」とも
言うべき、その人の態度は、くりかえし思い出す、自分のなかの
「宝物」と言っていいかなと、思います


生き方といったこと。最終的には自分自身で、なにかを
見つけていくということは、とっても大事なことだと、思います
ただ、「お手本」にしたい、人、その人の振舞いなど、ふれておく
というのは、なんて、素晴らしいことだとも思うし、そうしたいと
いまでも思います


先代社長の、聞く、全身で聞くといったこと
人の成長を見守るということ。
やっと年齢をへて、こういうことかと、実感できるということも
あるようです


人間、自分は平凡な人間だと、自覚するということ
大事だと、このごろ、思います。自分は優秀なんだ、自分は特別なんだと
若い時は思いたい。いいえ思っていていいと思います
そうして、背伸びしてることで、自分のなにかしら、いいことも増える
そういうこともあるからです


だけど、一定の年齢をへたら、自分の平凡さというのを、客観的に
とらえてるということが、まず「見通しをもつ」ということにも
大事なこと、と、思えてきます


大事な人との別れ、ということ。悲しいでしょう。ただ、その大事な
人と別れることで、生きるということが、生き方ということが
大切なんだと、残されたものは、ちょっとでもよりよく生きようとする
そういうこと、しか、できないのではないでしょうか?