人が集まる場

おじいちゃん、おばあちゃんの家
神社、駄菓子屋、公園、河原


場が、ほしいな、と思うことがあります
寄り道できる、「場」
誰かが、笑顔でいる、「場」


「囲炉裏」はいいね、という話を
ちょこちょこと、したことがあります
信州で、古い農家を、移築して作ったという
家にお住まいの、人と話していたときですね
玄関をあがると、ひろい、居間といっていい
場所があり、大きな「炉」がきってあるのです
その炉を囲んで、お茶を飲むのですね


囲炉裏は、いつも笑顔のおじちゃん、おばちゃんが
いて、あったかい汁をごちそうしてくれる
そんな、イメージがあります
若い人は、そのあたたかさに包まれて、安心感を
もって、いろんなことを、しゃべるのです


なかなか、物理的な場所は、なんとかなっても
そこの主というか、いつもいる、守ってる人に
自分がなれるのか?と、自問自答すると
NOではないかと、思えて、そうなると、誰がそこに
いるのかとなって、さみしくなります


場、であるとか、人が集まる場所は、やっぱり
その空間をもつ、人がいるのですね


会社がある分、若い人が育つ場になればいいなと
ずっと、思い続けています
どうしたら、そうなれるだろうと、思います
あたりまえのことが、あたりまえ、と思えるような
ことを、想像しますね
つまり、人がはいってきたい、そういう存在に
なること。入ってきたら、仲間ができて、その仲間は
やさしくもあり、きびしくもあり、つまり疑似家族のように
存在したいものと、思います


京都、曼殊院にて、人生訓的なことがかかれた
暦だったと思います。「許さない父と、許す母
その真ん中で、子供がまっすぐ育つ」という記述が
あって、しばし、足を止めて、うなりました


場、があるということは、父のような存在
母のような存在、あってこそ、なのかなと、想像します


おそらくは、私がちょっとここで書いたような
場になればいいということで、「こども食堂」なる
週一回のイベントをやってるという店を、テレビで
やっていました
コミュニティが発展する、なにかの助けがしたい
そういうことなんですね
週一回って、いいペースかもしれないです