ふりをすること、大事です

数年前から、当社の管理職のあいだで流行った
言い方として、「ふりをするのも大事だよね」、という
ことがあります


学生だった、若い人が入社して、さて、技術者になるって
いきなりは、なれないものです。そうなのですが
技術者になった、というふりをして、そういう振る舞いを
するうちに、技術者のあるべき姿も見えてくる、技術者だったら
こういうふうな、考え、感覚をもつのかな、というのが
イメージできてくる、ということがあるでしょう


みようみまね、ということも有効なんですね
「学び」を解説してる本に、人間は、みせることで
学びがあるということが、でてきます
「ミテネ」「ヤルヨ」「ホラネ」みたいな
シャドウイングといってもいい。


実は、私自身、いまもやってることも多いとも
言えます。「自分は人材育成のオタクだ」とか
言って、ほんとうにそうかどうかは、別として
人に宣言して、人材育成こそ、自分の大事にしてるものだと
言い続ける。もちろん、一定以上自分の気持ち、自分の使える
学びの時間などで、学び、そのための実践もやってる
ことは事実です。「オタク」かどうかはおいておいても。


ふりをする、その振る舞いを、意識してする
ということは、ある行為だったり、「道」といっても
いいなにかを、し続けるときに、大事なことと
いっていいでしょう


さきほどの、学びの本のなかに、師弟というのは
と、解説があり、寝食をともにして、師匠のまさに
息遣いといったことも、真似しながら、やってることを
身に着けてくということだった、と、解説がありました
まねるということは、大事なことなんですね


まねる、から、自分の?という世界を築くとなると
何段階も、ハードルを越えることが、必要です
でも、もしかしたら、まずまねるができること
このことのほうが、見方によりますが、ハードルは
高いといっていいかもしれません


ときどき、夢中になれること、自分自身が邁進できる
そういう存在に、一生懸命になること、このことって
価値のひとつだな、って、感じることがあります
夢中でまねできる、大事とも思います