古都の仏

自分がとても、「古都」であり、古くからある寺が
好きなんだなと、再認識する会話がつい先日ありました


伊豆にある、願成就院。時代が変わる、平安時代から
鎌倉時代に変わるそのときに、その時代変化を担う登場人物で
重要な位置をもった、北条時政が運慶を呼んで、作らせた
という阿弥陀如来坐像。このときの運慶は、若いと聞きます
つまり、運慶も新しい時代、新しい権力のなかで自分を
試したいと思って、気持ちを込めて作ってるようにも思います


こんな話を人に話すのも、いっとき、我が家で「運慶ブーム」が
来ていたから、という話になりました
鎌倉が好きですね。結構中学生から、自転車で有名な寺は
回っていたのです。ゆえ、有名な寺、という意味では
まず、概要は知ってるつもりでいたのですが。3年ほど前
うちの奥さんと、鎌倉に行こうとしたとき、気づきました
知らないことも、あるなということ
例えば、こういう言い方もあります。いまアートに奥さんも
私も目覚めて、そうした、アートの「目」をもって
鎌倉の寺を巡りたいとなると、目のつけどころが違うのだ
ということ


古都つながりでいうと、奈良、桜井市にある聖林寺
たいへん美しい、十一面観音がある。
あのフェノロサが、その美しさに、ギリシャ彫刻のビーナスを
上回るといったとか、解説で読んだ覚えがあります


奈良で、十一面観音めぐりというのを、したことを
思い出します。そのなかでも、この聖林寺の仏像の美しさは
際立っていたように、思います


仏像をはたして、アートの対象として、見てしまうのは
どうなのかということもありますが、仏像は心をとらえると
思うのです。ずいぶん、おおざっぱな言い方になるかも
しれないですが、十一面観音であり、不空羂索観音といった
観音様は、人間の欲望をよくあらわしているというか
十一面、であれば、いろんな感情をもった人間を
不空のほうは、まさに網で救うように、人を救ってくださる
そんな気持ちがしてきて、やっぱり「ありがたい」とも
感じるのです


すっかり、観光地となってる、鎌倉、奈良なわけですが
静かな寺で、仏の静かな表情に出会えたりすると
普段忘れてる、大事なことを、みつめる、であるとか
時間をかけても、やりたいことを、しっかりみつけるといった
生き方って、どうするのということを、思い出させてくれる
そういう気持ちになれそうです