安曇野 いわさきちひろ美術館

「昼寝ができる、場所」がほしくて、作ったと
主催者の言葉があります
その名前のとおり、広い中庭、休憩スペース
図書室、カフェ、どこでもゆったりと
過ごしてくださいと、そういわれてるような
開放感、明るさ、スペースの広さがあります


いわさきちひろは、両親が住んでいた、松川村
また、後年は、黒姫高原に、山荘をたてて
そこで、仕事をしていたと聞きます


いわさきちひろの、子供の絵は、どこまでも
かわいらしく、単純と一瞬みえる、そういう絵なのですが
きりとった、表情の豊かなこと。愛らしさ、ときには
さみしさ、人をみつめる、逃げられない、なにかせっぱつまった
感じなど、子供のもつ、表情がくっきり浮かんでくるのです


いわさきちひろは、大正の生まれで、55歳で亡くなった
ということですから、昭和の後半まで生きた
つまり、後半は自分の少年時代に重なります


先日、テレビで、昭和は、みんなが幸せになれると信じられた
とても、素晴らしい時代、と、言ってる、日本が大好きな外国人が
いて、ああ、なるほど、と思いました
もっとも、いまより、ずっと貧しかった、現実もあるのですけどね
貧しかった、自分たち。でも心は、豊かだったといえるかも
しれないですね


景気が悪くなって、と、長期のスパンでいうときに
どうも、バブル景気以降は、おおきくざっくりと
景気は悪い、と言ってしまう人、いるのですが
そういう雰囲気をもって、この30年とかみると
経済成長はしてない、ともいえるし、例えてみれば
「今日より明日が、豊かになっていく」というのは
誰も、信じてないとも見えるのです


昭和は、経済成長していました
そして、企業がやっぱり、余裕があるように振る舞える
そういう、業績があったように思います
いいとか、悪いとか、そういう判断はここではしないとして
事実として、そうだった。


ただ、みんながいっしょじゃないと、不安といった呪縛だとか
なにか、はずれたことをすると、世の中で生きていけない
といった、思い込みとかあって、いまより自由さは
ないかもしれません。


人を信じる気持ちに、まだまだ、強さがあった
そして、個人がやっぱりしっかりもしていた
たくましかった。自分ができることを、やるという
ハングリーさも、強かったかな


いわさきちひろの絵は、そういうハングリーななかで
いろんなことを、一生懸命がまんしていた、人とも
とれるのですが、絵は、ふんわりと、開放感
人の気持ちを、やさしくなぜてくれるような、あったかさに
満ちています


その強さと、やさしさをあわせもつような、そのもとにあったのは
いわさきちひろの生き方、でしょうね


また、くりかえし、行きたくなる場所がふえました