ルーブル美術館

ラファエロの聖母子像です
中野京子 「初めてのルーブル」から
なぜ、ヨーロッパにはマリア像、聖母子の像がこれだけあるのか?
それは、ニーズがあった、ということだと、明快に
応えています


男性は、「母なるもの」、つまり母に似た恋人だったり
妻をさがすもの、という、心理学の登場を待たなくても
言われてる、その点こそ、ヨーロッパに、マリア像がこれだけ
ある、所以であると、語ります


数年前、家族ぐるみで親しくしてる方、というか正確には
夫婦とお酒をいただき、くつろいで話しているときでした
思春期から、10代に別れをつげようとしてる、息子が
母親にたいへん、反発するのだという話でした


実際のところ、母親に反発していた、自分はすぐ察しました
それは、いわばコンプレックスだろうなと
これは、男性なら、理解しやすい。母親には、やはり
特別なつながりを感じるというのが、普通にあると思うのです
河合隼雄先生に、語らせると、特に、日本は母なる存在が
とても大きく、母親から十分な愛情を注いでもらうということが
人格形成にとても大きな影響があると、でます


ラファエロは、聖母子を描かせたら、天下一品だそうです
そのなぜ、聖母子を求めるのか、それは、母なるものを
求めたから、・・・


こんな話をしていて、ふと気づいたことがあります


私が、美術全般に興味をもてるようになった、大きな影響を
受けた作品のひとつ。荻原碌山「女」です
この作品、ひとつの理想化した女性像、言い換えれば
女神であり、みようによっては、マリア像だとも
言えそうだということです


つまり、男性が追い求める、「理想の母」というか
「理想の自分の偶像」「求めても、届かない、愛のなにか」
といったこと。このことを、碌山は追っかけて
かなえられなくて、その悲しさ、むなしさ
純粋に「愛」として結晶していく自分の思いを
この作品に託したと言えないでしょうか


相馬黒光という、実在の恋愛の対象はいたのですが
その対象を超えて、理想を、自分の恋に恋したなにかを
作品に込めたと、感じるのです
だから、できた作品は、理想化されたもの
誰かの像ではなく、それを超えた、象徴を含んだ「美」を
表現したもの。


ラファエロは、一般の男性が感じる、理想の人は
こんなでしょう、という表現を、うまく見せるのができた
だから、最大公約数の美を、表現できた
美しいという言葉には、最適なのかもしれません


でも、碌山の「女」を知っていて、画家が追い求めた
なにかを知りたい自分は、最大公約数でない、とがった美を
知りたくなっています