思い出のマーニーから

赤ん坊のとき、泣いて訴えると
おしめが湿ってるのか、おなかが空いたのかと
なにくれと、世話してくれる人が近くにいて
安心し、「人は訴えることで、答えてくれる」
という認識を気持ちの奥深くに刻むのだ
といいます


こうした子供が、大人になると、なにか
困ったとき、なにかしなくてはならない、また
なにかうれしくて、共有したい、そういうときに
人にアピールして、誰かに助けてもらうとか
誰かと共有して、自ら明日へまた、力強く生きる
ということを、誓う、そういった日々を送れるように
なるのだと、想像します


↑の逆の経験は、赤ん坊であり、子供のときに
世話してくれる人がまわりにいない、そのことを
刻むので、大人になって、困ったとき
「どうせ、人は助けてくれない」
「自分の気持ちをわかってくれる人はいない」
といった、いじけた気持ちから前に進むことが
むずかしくなってしまう


それでも、どこかで気づければ、あ、まだ自分のことを
信じることからはじめ、人のことを信じよう、人と共有することの
喜びを知ろう、そういうつながりができていく
それが人間の素晴らしいところです


思い出のマーニー ジョーン・G・ロビンソン
を読み返しました


主人公は、はじめて大切な人と接する、それも
疑似恋愛といっていい体験をし、そのあと、自分の過去と
つながっていくという、不思議な出来事のなかで
自分をとりもどしていく


どうも、気持ちが一定以上へこんでしまった
そういう時期を特に子ども時代にすごしてしまうと
なかなか、人を信じるという基本の大事な、生き方を
学べないということがありそうなのですが、
この思い出のマーニーは、ひとつのそういう人へ
生き方を、もう一度学ぶ、教科書といっていいストーリィ
だと感じます


そうした考えを、いろいろ思いめぐらせると
人間、完璧な人なんていないわけですね
そうして、自分の足らないところをもってるのですよ
その足らないこと、大本と言っていい、一番基本となる
人との接し方ということも、いろんな体験、貴重な絆を
しっかり確かめることで、自分で強くしていける、そういう
ふうにもとらえていけて、とても元気が出る物語だと
感じるのです


大切なもの、人を自分で大切に扱い
自分の生き方を太くしていくということに
結び付けていける
人間の素晴らしい、力といっていい、このことを
忘れないように、生きたいですね