いいものを、感じるってこと

いいものを、みたり、素晴らしいと感じたときに
誰かにこの気持ちを伝えたいというのは、とても自然だし
持ったほうがいい、感覚といっていいのではないでしょうか


こうした、感性ということを、大事にしたい、忘れないように
したいと思います


美術館に行きます
いい絵に出会えたとします
この気持ち、いいな、たとえば色彩がいいな、絵の迫力
緻密さ、構図などがいいな・・・と、できるだけ表現してみます


美術館にいって、絵だったり彫刻といったアートを
楽しむとき、その対象が、自分にとっていいかどうかは
あくまで、自分が決めていいと、腹をくくるというか
そういう気持ちのほうが、自然になれます
美術館に飾ってあるものだから、いいと思えないのは
自分がなにか、受け取れないとか自分のほうがなにかが
欠けてるなんて思い(アートを見慣れない人がよく、持つ
感情だと思います)があると、自然じゃなくなります


いいなという、気持ちを誰かに伝えてみて
その誰かが感じたなにかを、また受け取って、「化学変化」
なんて、最高に素敵な、やりとりなわけですが
そこまでいかなくても、化学変化はおきなくても
自分が感じたことをだしてみる、だしあって、あーでもない
こーでもないと、話してる時間は、とても楽しいものです


なにかに、とらわれすぎないということが大事だ
とも言えます
好きな画家、東山魁夷奥村土牛、モネ、鏑木清方上村松園
などとでてきますが、こうした好きな画家の絵はそれは
それで大事なのですが、そういうコンセプトからはずれたら
よくないななんてなると、やっかいです
とらわれすぎ、とも言えます


モネがオランジェリー美術館の解説に残してる言葉
自分の絵をみて、人々がやすらぎを感じてくれる、そんな
絵をめざしてる。きっとこの美術館の絵を見た人は
そう感じてくれるのではないか・・・


こうした、生き方がもうそのまま、絵を描くことに
つながってるような、すばらしさに出会うと、それで
もううれしくなってしまうということがあります


いろいろ思っていくと、生き方が共振する、そういうことに
どうもつながるように、思います


去年の夏、新潟、高田城址にある、小林古径記念館に
行きました。自宅とアトリエが移築されていました
その自宅。吉田五十八という建築家が建てたそれは
素晴らしかったです。小林は、吉田に自分が気に入るように
家を作ってくれと依頼し、吉田は小林の作品をていねいに
みて、小林の個性、感じてる美の世界を受け止めて
建築したというのですね
まさに、生き方の共振ではないでしょうか


美とはなにか
生き方とは、どんなふうなものが、いいのか
それは、自分の生き方ということを思って、迷い、ときに
軌道修正しようかなどと、思ったりしながら、なんども
自分と向き合い、生きてる、そうしたいい生き方ができれば
より、生き方ということを、感じ、どう生きるかについて
感覚でこうなんだと、持てるのではと期待します


いいと思える、アート、アートを生み出した生き方
これからも出会えたらうれしいですね