咀嚼、リスペクト、触媒

先日、ある社員と自分とのやりとりを記述した
ものを、レポートしながら、咀嚼すること、リスペクト
することが、いいやりとりには大事なことだと
指摘しました
その数日後、さらに咀嚼とリスペクトを考えながら
別の社員と話していて、咀嚼とリスペクトに加えて
「基本姿勢」ということが重要だと、気が付いたのです


咀嚼すること、リスペクトすること。このことは
コミュニケーションにおいて、基本になるといっていい
その態度、であり、このふたつが、コミュニケーションを
まさに生み出すといっていい、ことなのだと感じます
ただ、咀嚼すること、リスペクトすること、このことを
とっても大事だと、お互いがわかってる場合、かなり
いい感じでいけるということがありそうですが
そうでない場合、もうひとつ「触媒」といっていい
ことが必要ということが、ありそうなのです


会社のなかで、技術者が育つのを、のぞんでるという
場合に、技術者を育てたいという、基本姿勢があるのか
ということ、まさに前提といったらいいか、そもそもの
はじまりの原点といったことが、どうなのかと
つながるのです


社員同士のやりとり、そのおおもとの原点に
社員を育てる、技術者として、育てるということの合意が
しっかりある。そうなると、いろんな意味で、いいことが
でてきます。たとえば、プロジェクトの課題に取り組む
それは、ある社員にとって、ぜひ克服すべき課題だろう
ということが、浮上したときに、社員を育成する観点において
一致してる同士が話すゆえ、表面的な課題へのアプローチは
仮にまったくちがっていても、いいやりとりができるものです
簡単な例をあげれば、なにかの取り組みの対して、しかるのか
ほめるのか、といったことです。もとの、おおもとの考えが
人を育てる観点がはいっていれば、きっとその奥にある
意図というのは、重なってくるものです


人と人。共通点だとか、共感するポイントというのが
どうなのかということを、いつも探ってると言うことも
とっても大事なことです


生きていれば、いろんなことが起こります
ときには、がまんしなければならない、ときには意欲を高くもって
「モデル」として、みせるために、自分が先頭にたつということが
求められる。そういうときに、気持ちよく、自らできるか
やらされてるではなく、自分のため、と考えて、やっていけるか?


そういうときに、ほしい情報は、いいやりとりをするということから
しか、得られないのではないでしょうか
人間は、いいやりとりをしてこそ、いい仕事、いい働きが
できるといっていいのではないでしょうか?