小説

今年の夏に、ここ数年やってる、読書会がありました
扱った本は、1984年 ジョージ・オーウェルでした


自分の好みからいえば、おそらくは選んで手に取らない
小説なんです。ディストピアもの、ということで
簡単にいうと、監視社会、そして思想統制
なされている、近未来社会。1984、これは1949の
出版というから、いまから70年も前ということに
なります


でも、ある意味では新しかったといえます
ずいぶん、その表現のなかで読むのが苦しい、疑似体験に
近い感覚が自分のなかに起こりました
ひとつは、ジョージ・オーウェルストーリィテラーとしての
優れてるところがそうさせるといっていいでしょうね


この本を紹介したくて、いまこの文章を書いてるというより
実際、本というか、ふれる世界も、こうした
ちょっと刺激があるものも、たまにはあって、精神は
バランスをもつのかな、ということです
実際、この小説を読んで、「口直し」的な自分の好みの
小説を読み、ほっとしたりもしました。そして
たまたま、わりと自分としては最近知った、作家の
最新作を手に取って読み始めて・・・
この本が、結構「濃い」内容だったのですが、以外に
すぐ客観視しながら読めたのは、1984で免疫が
できたいっていい、そんなふうに思えたのです


たとえば、テニスをしていて、ふだんより、スピードのある
ボールで打ってくる相手がいたりすると、しばらくは
ついていけない、となったりするのですが、しばらく
おっかけると、目や、目と手のコンビがそのスピードに
ある程度反応できるようになったりします
もっとも、程度はありますけど。


そうしたことに近いことが、文章を読むということにも
起こるんだと感じたことでした


拡大解釈をして、「人」ということもそうかも
しれません。世の中には、いろんな人がいて、もちろんといって
いいか「くせ」の強い人というのにも、出会っていきます
ある程度、くせのある人に会っておくというのも
いろんな意味で、ある場面、誰かと相対して、短い時間で
なにか合意するとか、答えをださなくてはならない、と
なったとき、あわてないですむということも
ありそうです


人間の心は、多様で複雑、またかなり「強い」とも言えそうです
鍛えるか、どうするかというのは、自分しだい。
鍛えていこうとやれば、そうとうなことを、克服もできる
そういうことが、自分のなかの考えとしては、あります
そして、そうしたトレーンングした自分を、自画自賛もし
そういう自分が存在することを、できれば他人のために
役立てたい、そんなふうにも思います