東山魁夷

東山魁夷が、「風景との対話」のなかで記述してる
日月四季の、絵のできあがっていく過程に
とても、興味と、もう崇敬といっていい、気持ちが浮かんで
くるのが、読んでいて感じました


「不思議なことに、はじめてこの壁をみた瞬間に「日月四季図」の
構想がひらめいた。」


絵を描くというとき、いいえ、絵を描くというときだから
こそ、こういう、一番大事な、構想するという段階が
大事で、また忘れられない、その作品とくっついたことに
なるのでは、ないでしょうか?


ある作詞家が、旅にでるときに、その目的地に行くという
過程がいい。そのときのうれしさ、緊張感、期待感というのが
自分のなかに、いい感覚を造りだし、そのときにできる
詩がいいと、述べていて、「ああ、あるんだろうな」と
想像して、旅に向かう途中に、なにか創造的なことを
したいと思うようになりました


そうはいっても、やっぱり凡人であるせいか、いい時間の
はずの、旅のはじまり、期待とそういう、いい時間をもつんだという
意識が強すぎるのか、あまり、思い通りのいい緊張感の
時間になかなか、なりません・・・


東山魁夷の非凡なところは、着想の時点で、思ったことを
下絵にしたところで、京都に行き、その京都の寺院、その寺院に
収められた、日本画の先人の絵、またその絵の着想になったで
あろう、京都の山々のフォルムに、自分の描こうとしてる
ものを、はっきり感じることができたと、ある。


ある構想を、先輩の絵であり、その先輩の絵を描かせた
風景から、実際の形にしまでしていくとうことを
見る、という行為から、東山魁夷の心のなかで、こうしよう
という気持ち、信念でしょうか、そうなって、絵となったと
読める、文章です


全然、レベルはちがうかもしれないですが
作家の文章で、表現される場所だったり、風景
また季節の感じ方などを、旅してみて、たどって
元気づけられるのに、近いと、思ったのです


永井路子の、明日香、だったり、山下大五郎の安曇野
そうです。


人間は、なにかを表現したいという根源的な、欲求をもってるもの
と、なにかで、知っています。そのこと、表現したいものを
ずっともってるから、生きていくといっていいのでしょう
画家にあこがれ、表現者、想像する力にあこがれる
そういう文章でした