感性を思う

家族とは 静かなる縁 晦日そば


暮れにみた、テレビにて「俳句」を題材にしていて
そのロケの場所が鎌倉という番組がありました
そのなかで、タレントの一行と、慶応大学の俳句サークルの
「勝負」という場面がでてきて、興味深く見ました


冒頭の句は、慶応の3人が読んだ、句でしばし、感心して
なんどか、思い出し、自分の奥さんにもこんなことが
あったと、話したほどでした
勝負のやり方は(俳句では一般的なのかもしれません)
3人が上の句、中の句、下の句とそれぞれを
担当し、もちろん、即興で事前の打ち合わせはしない。
それででてきた、句として、とても気持ちも、コンセプトも
展開もいいなという感じでした


そんなことがあり、俳句にも興味がわいたこと
さらに、即興ということに、自分の気持ちが傾いて
いるのを、感じます


いきなり、つながりがちょっと突飛かもしれませんが
漫画、「美味しんぼ」のなかで、なにかを味わうときは
「ぶっつけ本番」がいいのだという説明がありました
確か、大分の郷土料理を、勝負のテーマにおいているとき
大分に行く前に、大分の料理を東京で味わえる店に
入ろうとする、主人公を、ライバルであり、父親の
海原雄山は、止めるというシーンでした。その地の空気
その地のなかで食べてこそ、本物が味わえる
東京で、似たものを食べてしまっては、感動が薄れるという
説明でした


仕事をするときに、「準備する」というのは
大事なことですね。会議の準備をする、お客様と打ち合わせを
するときの準備をする。そうなのですが、なにかを味わう
なにか、アートを思うことを、自分で感じるというときは
「ぶっつけ本番」が大事ということも、忘れないように
したいと、思うのです


拡大解釈をすれば、友達となにかするというのも、ぶっつけ本番だから
わかるなにか、伝わるなにかがあるといってもいいのでは
ないでしょうか?


アート、文化ということは、感性を研ぎ澄ませて、味わうもの
そのときに、一期一会といってもいい、そのときしか
ない、一瞬のこと、それを見逃さない、そういう態度で
いたいとも思うのです


人間の気持ち、人間が感じられることというのは
実際、繊細だし、大事なのですが、感じられる瞬間は限られる
そういうことを、十分、思っていて、そのときを
迎えたい、そういうことも思うのです