自分を知る

他人のことは、理解できても
自分のことが、理解できない


なぜでしょうか
このことは、歴史のなかでも、もう繰り返し言われてる
おそらくは、人間が陥りやすい、傾向だといっていいのですね
自分のことが、理解できない
理解できない、ということは、まず、客観的に自分を
見るということができないのでしょう


スポーツをします
スポーツをして、記録を伸ばしたり、試合に勝ったり
ということは、自分との戦いだと、言われます


昨日、全豪オープンテニスが終わりました
テニスの試合で、あるとき流れが変わって、リードしていた
選手が、急に調子が悪くなり、逆に相手のボールが
決まっていく、そういうタイミングということが
あります。
まるで、ボクシングで一発、やりかえしたことで
相手にそれが効いたように、流れが変わる
これは、メンタルなところで、自信もってやっていたことが
急に自信がもてなくなる、そういうことにつながっているのだと
読み解きます


相手とのやりとりで、自分を知る
相手との、優位性であり、劣後してるという感覚が
自分のいまを知る、ということです


それほど、自分というのは、自分ではわからない
客観的に見ようとして、見間違う、それが自分でしょう


それでもなんとか、自分を見なくてはだめです
まして、責任ある立場の人だったら、なおさらそうだと
思います
たとえば、組織のなかで、人のポジションを決めたりできる
責任をもった人は、対象の人の能力「、いまの状態をよく知って
ポジションを決めるということを、求められます
そうでなければ、うまく仕事がまわりません


自分を知ること
それは、一定のトレーニングをすることで、そこそこの
通常知りうるような、情報はとるということができます
ですが、本人も無意識でやってること、だったり、潜在的にもっていて
あるときでてくるものだったりは、もう予測できないでしょうね
そういう、複雑さ、また魔訶不思議なところがある、それも
人間ですね