古いもの、日本のもの

古典性という、時代を超越して残っていくもの
そういう、ホンモノといっていい、すばらしさがある
価値を、とても、ほしいと思います


高校時代に、古文の先生が、古いものというと
なにか、使い古したとか、そういうイメージから
価値が低いものと、受け取る人がいるが
全然逆なんだということを説明してくれました
時代を超えて、残っていくもの、残ってきたもの
そういう、価値を知るっていう大切さを学ぶのだと
いう、話でした


日本は、古いものがあって、それを大切にしてきた
文化があり、素晴らしいと思います
文学、アート、書、そして、和歌。
去年の暮だったか、俳句を学ぶのを、主体とした
テレビ番組のなかで、先生役として登場した人が
俳句も和歌のうちだという話をしていて、そうかと思いました


そういう、日本にいて、日本で古くから残ってきたもの
そういうものを、学ばない手はないなと、最近
思うようになりました。ただ、なにからはじめよう?
それが、とても気になっています


この10年ほど、絵を見る楽しみということに
だんだん、自分が慣れてきたのを、感じます
そして、その楽しみ方、は、絵を描いた作家について
知るということと、不可分なのです
ごく最近、東山魁夷も、気になった人物については
その生まれ育ちだったり、どんなプライベートを過ごしたか
調べて、味わうという話を知り、とても身近に感じましたし
自分も、すでにやってる、そうした作家の身の回りを
知るということを、続けてしようと思いました


アートも、ホンモノといっていいものは
時代を超えて、残っていくということが
ありそうです


インターネットが当たり前になり、世界中の情報が
容易に得られるようになって、もちろんこのことは
素晴らしいことのひとつに違いないのです
ただ、情報の洪水といっていい、こうしたなかにあって
「自分とはなにか」「自分のルーツって、どうなの」
こうしたことが、小さいものになっていってしまってる
言い方をかえれば、自分を含め、世の中の人が
情報のなかで、あっぷあっぷしていて、自分の視点を
定めるべく、自分は?どうしたという
まさに、アイデンティティが、見失われてるのを
感じるのです


日本に生まれ育ち、日本を愛して、生きる
日本人だということを、誇りに思い、そういう視点を
しっかりもちながら、世界とも接していく
そういうことがしたいと思いながら
あれ、果たして、いま自分が思ってる日本のなにかって
確かなものなのか?そんなふうに
不安に思う、この頃です