人間として

私のまわりに、実際酒をいっしょに飲む人、そして
そのなかで、娘さんを持ってるという仲間を
思い浮かべると、「なんて、娘に甘いんだろうな」なんて
思ったりします
一方、それは「やっかみ」かもしれなくて
当のご本人にしたら、つい甘くしてしまうこと
それがうれしいのだと、そう思ってるのでしょうかね


西洋でいえば、ラファエロに代表される、女神像が
その象徴でしょうし、日本でいえば、観音様がそうでしょうか
どうも、男は、「永遠の女性像」にあこがれこがれてきた
ということがあるんじゃないでしょうか?


神のまえで、悔い改めよとか
御仏に、一切を預けなさいとか
そういう言葉とともに、ラファエロが描く、「なんでも許してくれそうな」
そういう女性を、あがめる。日本だったら、不空羂索観音だとか
すべてを救ってくれるなんて、意識を、仏様に持つ


ここで、宗教の話をしたいわけではなくて
男、いいえ男女関係なく、だれかを思い続けるのが
人間でしょうし、だんだん、自分もトシをとってくると
そうした、一面は甘えでしょうが、一面は、前向きに楽しみ
だったり、エネルギーの源泉といっていい、だれかを
思う気持ちを、受け止める、なにかの役割をしたいな
そんなふうに、思います


親しくさせてもらってる、会社のかたが
会社のなかで、会社を支えてる、そういう存在が
やっぱりいます・・・という話をされたとき
妙に納得してしまいました
日本の会社、世の中、ともに「支えてる存在」というのが
いて、住みやすさであったり、仕事しやすさにつながってると
いっていいのでは、ないでしょうか?


会社でいろんなことが起こり、そのいくつかについて
どう判断していくか?ということを、求められます
そういうとき、忘れないようにしたいことがいくつかあって
そのひとつが「人間として、はずかしいことをしていないか?」
であり、また「公平さ」だったり、「客観性」ということに
なろうかと思います


技術者は、自分が一番、状況であり、その仕事の「きも」といったことを
にぎる、という立場にいるということが、しばしば起こります
そういうなか「ごまかし」だったり「保身」ということが
先にたって、「本来あるべき姿」を忘れる、あえて見ないように
する、ということが、できてしまうということが
起こります


そういうときに、技術者倫理、といったことを言うのも大事です
そして、本人がさらけだせない、状況になっていないか
見守る人も大事とも思います


またさらけだされた、状況を、やっぱり判断していく私たちは
人間としてどうなのか、公平性、客観性に照らして
どうなのか、厳しく、することも、求められるでしょうね・・・