価値を感じるということ

ほうれん草と、もやしと、じゃがいもで
大皿に、野菜をたくさん食べてもらおうという趣旨で
どんと、盛ってみました


この大皿、結構気に入っていて、ごく最近求めたのですが
こうして、野菜をどんと盛る、おそらくは、鯛の兜煮だとか
合うと思っています


求めたときの、自分の気持ちとして、自分の料理を盛る
ということを、想定して、この皿に価値を認めたということが
ありますね


なにに、価値を見出すのか?
このことが、生きていて、とっても大事と思います
「うつわ」の話でいえば、「使う」ということで価値が
わかると、教えてくれた人がいます
人によっては、ただの、土を形にしたもの、そんな価値なんて
わからない、と、言うでしょう


ですが、用の美、という言葉があり、日本にはうつわを愛でる
文化があることを、知り、実際求めて、自分で使って、なるほど
これは、こんなふうに使うと、自分の美意識を磨けるんだと
気づくということは、まさに、自分の生きてるその瞬間を
豊かにし、自分の感性を育ててるといっていいと、感じます


「価値」に気づくということ


「ちがいがわかる・・・」という言い方があります
これって、なにかしらの、能力のように思ってきたのですが
能力というより、感覚といっていいのかなと、最近
思います
ちがいがわかる、というと、なにかかちっとした、基準なりを
自分がもてるようになり、あるものの良さが、はっきり
というかわかるものが、自分のなかにできる、という
語感があるように、思います


言葉でなかなか、言い表すのは、難しいところですが
もっと、感覚的なことだなと、最近感じるのです
たとえば、うつわを、実際使って、このうつわに、肉でも
野菜でも、ごはんでも、盛ったときに、感じた自分の思い
気持ちに気づく、そういうことを、繰り返すから
共通点、相違点含めて、あるうつわをみたときに、使ってみたいな
という漠然として、気持ちとして、再現されるといったら
いいかな・・・


さて、ずいぶん、うつわ、の話ばかりしてしまいましたが
今日は、「価値」をどうみつけるか?自分の大事にしたいもの
どう感じて、その気持ちをどう育てるのか?
この大きな、問題に、切り込んでみたくて、書きだしました


技術者は、知識を、実践で使えるようにして
人が使いたくなるものを、提供していくということが
使命です。
最近、「ビッグデータ」といった言葉が、新聞なりに
でてきますね。あらためて、ビッグデータといわなくても
データベースにあるデータを加工することで、業務アプリの
世界では、一定の世の中でほしいといわれる、システムを
作る、基本ができます


言葉で書いてしまうと、薄っぺらいのですが
ニーズを、受け止めて、設計するということがとても大事な
作業になります。この点、高いレベルでできるということが
ひとつの「価値」です


データの加工を、設計すること、といっていいですね
いまやってることが、どんなことで、なににフォーカスして
設計していくか、理解し、進められるということです
こうしたことが、うまくなる、自分をトレーニングする
やり方がわかるということが、価値です