わが子だと思って、鍛えて、しかってください
こういう言葉を言われて、その責任を思い、信じていただいたこと
うれしくも、思うのです
顔と顔を突き合わせて、話をすること
同じ世代、そして、私は会社の経営者、相手はその会社に
これから自分の子供が入社する、親です
わが子だと、思って・・・こういう言葉をかけてくれたのは
信じますよという、態度が、本当の信頼を生んでいく
そういう経験から知ってる、相手のことを、尊重しようという
気持ちがあるのだと、理解します
託された、思いを受け取って、いっしょにこれから仕事する
若い人が、なにか成長のエピソードを、ご両親に語れるような
そんな仕事をしてほしいし、そのための、後押しはぜひ
しようと、心に誓った日にもなりました
思い出すと、何人も、いいえすべて数えるとしたら
何十人という、ご両親、ご家族の方に会いました
そして、一番、うれしくもあり、こちらの気持ちが
引き締まること、それが、信じてもらえるということだと
気が付きます
あなたのことを、信じて、ぜひ、子供にいい経験を
させてくださいね。
何度も思うことなのですが、私はいま、五十代の後半にさしかかり
社会人にはじめてなったというのは、1980年代の後半です
そのときと、いまの、世の中を比べてみてみたい
企業の様子を比べてみたい
はっきりしてるのは、世知辛くなった
生きづらくなった、ということです
私が入社した会社には、「人を育てる」ということは
十分思いをもった、先輩がたくさんいらした、またそういう
接し方ができる、仕事のしかたをしていた(しかられもしたし
そういう、業務外の時間が結構とられていたと思う)
ですが、いま「令和」の世の中はどうでしょう
一人の管理者が、目を配る担当者は、ぐっと多くなり
(倍以上じゃないでしょうか)みんなで、止められない
業務を、余裕がないなか、回してる
だから、と、思うのです
非効率なところがあっても、人としての、成長をめざして
人と人が、相対するときに、気を付けたいことにこだわり
若い人に接していきたい
若い人は、日々がチャンスであり、ピンチといっていい
なにか、きっかけがあれば、自分のあることに気づいて
能力を伸ばすことができるかもしれない
一方、なにかしらの、自分の進むところでの障害がみえると
実は、自分でそんなものは、振り払えるということはありそう
なのに、気持ちで、その障害に、振り回されてしまう
そんなことも、ありそうです
生きづらくなった
また、生きる力を、強くするべく、学生のときなりに
いい経験ができればいいですが、知らず知らず、楽なほうへ
いってしまいがちな人間。できる経験を、しそこなってる
育ちそこなってる人を、よくみかける、気がいたします
私は、自分の人生をかけて、人材育成をしていこうと
決めています
それは、なにか、特別なことをするのではなく、生きるのに
少しでも役立つこと、自分の生きてきたなかで、いいなと
思う経験を、積めるような、そういう場を、整えること
ここからだと、思っています