東山魁夷

「年暮る」東山の作品の中でも特に好きな作品
なぜ、この年暮るが、自分の心にはまるのか?
2つの理由が浮かびます


静かさです
ここに描かれた、京都の町。人は描かれてない
だから?ではなくて、冬、雪、そして、日本家屋のもつ
静かさ。


そして、この静かさは、「耐えること」「待つこと」
につながってると、自分のなかの「なぜ」をのぞき込んでいると
頭に言葉が浮かびました


日本人、いいえかつての日本人が持っていたといっていい
耐えること、待つことを美徳として、持ち続けること
こうしたことが、やはりいいのだ、価値なのだと
思う、自分がいます


自分がやってる、人を育てるという行為に照らして
思うとき、人は他人に対して、ある部分、「無力だな」と
思うことに、くりかえしあたります
そして、無力ななか、人の成長を思う時、「待つ」
という行為になると、思いいたるのです


人が育つということを、期待しながら、待つということ
見守っていくといってもいいでしょう


スポーツでもそうですが、やろうとしてることが、ある方向として
正しくて、そのやり方が間違っていなければ、時間はかかるか
別として、人間の素晴らしいところ、やろうとすれば、できるものです
なぜ、できないか?
それは、真剣にやろうとしていない、ということがわかります


そして、やり続ける、継続する力をどこで培うのか
ということが、大事になります


年暮る、のもうひとつの惹かれる、理由
日本の家屋のもつ美しさ、雪の美しさが、重なるハーモニーでしょう


日本人は、美しいものを、作ってきたといっていい
京都の町は、ひとつの、到達点と言っていい
その町の景色の、欠かせない要素として、いまは極端に少なくなった
家屋がある


年暮る、の、家の窓に黄色く、明かりがあるのを
認めます


東山魁夷のヨーロッパ、ロマンティック街道の町を
描いた絵のなかで、ほとんど、「人」は描かれていないのですが
なかに、あ、いまこの部屋に人がいるんだとか
そういう、「気配」が感じられるものがあります
そうした、魁夷の心が、この年暮るにも、あるのです


年始に、東山魁夷の世界にふれて、気持ちがのびやかに
そして、また前向きにすることができました
今年もアートを愛でて、そこからもらうエネルギーを大切に
燃やしていきたい。そう思える、時間でした