学びに思う

ごく最近あった、会議において
技術者のあるべき姿とは、という話題になり
私がだした、意見は、「学びに貪欲なこと」
ということでした


さて、学びとはなにか?
実は、まだ、私もその姿は、自ら追いかけている
といっていいと思っています
だけど、学びの姿のいくつかは、見えてるとも
思います


学びに、ほしいもの。双方向、柔軟な考え、オープン、かつ自主的な
姿勢でしょう
逆を考えると、フーンと思うと、推察します
一方的、固定した考え、強制があって、閉ざされてると
いったことは、誰も、やりたくないとも思います


ただ、こういったほしいもの、すべてがあるから
学びがある、学びがよくできるというと
そうでないとも、見えたりするのが、不思議で
人間の複雑なところかもしれません


例えていうとしたら、「自由」ということに
似てるかもしれません
なにも、束縛されたりしない、自由の状態に
人がおかれると、実は自由さ、というのを
感じられず、自由を奪われて、とりもどしたいと
自由の大切さ、ほしいと思う、そういうときこそ
実は自由なのだ、と、そういうことを、思い出します


実際、双方向って、大事と、私はこだわります
システム開発で大事なポイント、テストの意味を
よく理解してる人が、伝えるとします
実際のところ、その知識のエッセンス、をよく理解してる
ことって、ものすごく大事なわけですが、それと同時に
どう伝えるかに、いかに心を使うかということが
同じくらい大事に思えてきます


学びがあること。学んでほしい対象者に、学びとして
どうなのか?そこでも双方向だと思っています


双方向のこと。基本は同じ視点にたっているか
ということです
相手が、どんな姿勢、どんな状態なのかを受け取って
それに添う、気持ちのところが大事と思います
そうしたことがあって、双方向の心の通い合い
ということがあるから、学びが光ってくると
感じるのです


さて、どうも伝えようというほうの、視点が
自分の立場上多くもなっているようです
伝わる、キャッチする対象者の姿勢ということ
どうしたら、キャッチできるか、そうした感性を
磨けるか?このことも、発信したいところには
なります


この感性と呼びましたが、受け取ることがとても
大事というのは、もちろんです
そして、その感性を磨くのは、基本中の基本の
「見ること」「聞くこと」をていねいにやると
なると感じます


パソコン、ゲーム、あたりまえ。そうしたビジュアルな
なにかをずっと受け取り続けた、人。デジタルネイティブとも
言うそうですが、そういう人には、ぜひ、人からいろんなものを
受け取るということに、うまくなろうという、意識を
もってほしいと思います


人が発信するものを、受け取るということは
ゲームやサイトからでてくるものとは、異質です
ですが、ナマの面白さがある。まさに生きてる人の
その生きざま、生き方を学ぶ、楽しさがあることを
学んでほしいですね


いろんな意味で、学びが大事
当社にいる人、いいえ、それもはずして
仲間と呼びたいあなた、学び、をいっしょに
やっていきませんか?