高校の仲間

私が、育った場所のひとつ
横浜市立金沢高校の、仲間とクラス会が
しばらくできなくて、寂しい思いです


ほんとに、仲のいい、クラス仲間
全員に基本声をかける、クラス会も2年に
一度はやってるというなか、プチクラス会とも
いうべき、数人で飲む会を、ちょこちょこ
やったりもあるのですがそれもできずに、1年が過ぎます


クラス会で、よく思うのは、会えば、話題であり
表情も、10代の多感なあのころにもどり、あ、自分は
こんなこと、感じていたな、こういう友達の言葉に
気づきがあったり、影響うけたり、そしてやっぱり
傷ついたりしたな・・・
そんなふうに、思えることが、自分のアイデンティティ
自分が自分たるところを、形づくったといっていい
そういうことを思い出し、心のなかで、忘れていたことを
浮かび上がらせる。そういう効果があるようです


アイデンティティ。これ、大事な話なのですが
実際、とらえきれていないのが、アイデンティティ
いっていいでしょう。それは常に変化もするという
やっかいなものでもあります


たとえば、日常生活を、自分の思うところのレベルに
保つということも、アイデンティティが崩れないように
する、ひとつの方法じゃないでしょうか
一定の食事、睡眠はもちろん、余裕のある仕事の
仕方、そして、仕事であり、プライベートでも
評価されてるという感覚もそうでしょう


高校のクラスの仲間。一定の集中力をもって
なにかをする、その姿そのものが、自分のアイデンティティだと
思った人って、結構いるのではないでしょうか?
趣味に打ち込む。勉強をする。アートだたり、なにかの
表現をする。


まじめに、勉強するのが、アイデンティティ
これ、つまらないようにも思えるかもしれないですが
すごく大事なことです。基本のなにかが大きくある


私自身でいうと、実際、これというより
いくつかその断片を思い出したりします


人、の、なかにはいって、その人がなにかを気づく
そんなことを、支援したい。そう思ったことも
あります


受験勉強をしてみて、失敗したり、それもいま思うと
とても、いい経験でした


さて、高校の仲間とのクラス会
思い出してみて、なぜ、このコミュニティが、自分にとって
いいのかというと、仲間が遠慮なく、お互いのことを
言い合えるからだと、いえることもあります
自分の振舞いがこうだった、と、人にいわれて
冷や汗なんてことは、結構あって、それは冷や汗かく
くらいだから、いいともいえないのですが、「気づき」に
つながることは、いくつもあったりします


長澤は、フレンドリィに、話ができる・・・
いつも、人のことを、気にしてる・・・
興味の幅が広い
怒るときは、怒るね、でもそれも、気持ちいい時がある・・・


ああ、自分は友達がすきで、興味の幅が広いと言えばそうかも
しれないけど、飽きっぽいところもあって、感情を平気で外に
出すんだ・・・


自分自身をさらけだせる、それが素晴らしいのでしょうね
また、クラス会やりたいな、と思います