なんでも、やっていこう

最近知り合いになった、やはりシステムを
作る会社の人と話していて、「ある社員は
なんでも、やってやろう」という気持ちがあって
とてもいいです、という話を聞きました


自分がやったことのない、システム、プログラム言語
使われてるミドルウェアとか、そういうことに
触るというのは、技術者にとって、刺激となって
いいということもあるのですが、一方、納期があって
成果を求められる立場として、そうそう、簡単に
手が出せないということも、ありそうです


でも、未知のことに、やっていこうじゃないか
という、気持ちは、必ずもっていてほしい態度
とも言えそうです


「会社」といううつわで、システムであり、技術のこと
そうした、新しいことを、やるということが、ほしい
ことを、やるというとき、ここに矛盾が起こりやすい
こと、というのが見えてきます


会社は、利益をださなければならない
そうしたとき、「効率」、つまり、QCDの考えというのを
忘れてはできないのですね
一方、効率といったことに「とらわれる」とすると
技術者だったり、技術でなにかという、ことを
大事にしたい、人、チームには、足枷になります


このあたりは、どちらか一方に固執ということに
ならない、スタンスということが、求められます


そういうことが前提のうえで、なんでもやってやろう
というのは、「ほしい、態度」と言えないでしょうか?


ある案件を実現していくのに、選択肢をだす
ことができて、そのうえで、あるときは
工数は少し余計かもしれないけど、次のことを
考えて、ある新しいなにかもとりこんでみる
また、ある場面では、他に工数をさきたいと
合意してるから、最小の工数になるものを、とる


こんなふうに、思うと、ユーザの投資という考え
だったり、もう少し広げていくと、経営そのものの
スタンスが、やっぱり、いいなといえる、環境で
仕事するって、とても大事だなとも思えてきます


なんでもやっていこうじゃないか
このことを、逆から考えると、より素晴らしいことも
感じますね
いまは、これしか、選択肢はない、という頑なさ
ということが、見えてくるように思います


技術者といっしょに、今後のことを考える
そういう場面になると、やっぱり、自分の可能性が
広がるような、未来ということが、すべての前提に
ないと、後ろ向きの会話になります
ゆえ、ついつい、風呂敷を広げるような話は
多いとも、言えます


そうなのですが、風呂敷を広げたときに、その風呂敷に
入るのは、こういう選択肢ですよと、答えてくれる
それが、ひとつの技術者のほしい態度といっていいのでは
ないでしょうか?