コミュニケーションの手間は、惜しまずかける

先日、テレビで、エビのさばきかた
というのを、やっていました
エビを背中から、包丁をいれる。そして
ひらいたところで、背ワタをとる


このひと手間、をやるかどうか
これで、ずいぶんと、味が変わるといっていい
のではないでしょうか?


料理するということは、面倒くさいということを
そうは思わずに、おいしいものを食べたい
そういう気持ちが前にでること。また
おいしいものを、笑顔で、自分の大事な
人と食べる時間を、いいなと思ってやること
それにつきると、思います


若い人が、目標が持ててない、といいます
ひとつのスポットの当て方をすると、なにかを
がんばっても、報われない・・・と、そういう
空気があるように、思います


思い出すと、私は昭和38年の生まれですが、
そういう世代は、まだ、なにかしら、自分が
努力することで、豊かに生活できたり、といった
いいことがあると、信じられた(実際にそうなってるか
という問題ではない)空気感があったように
思います


そういう空気を、なにか変えたいと思います


そこで、料理はどうだろうと、思っています


わが社では、新入社員へ、内定者となると
やることがあります。ひとつには、私の自宅で
食事会をすること、もうひとつは、その本人のご両親に
あいさつをすることです


自宅での、食事会。数年前から、新入社員自身が手を動かして
料理して、その料理を先輩社員に食べてもらう
そういうことをしています
あ、もちろんというか、残念ながら、昨年からできてない
のですが。


料理する。これは例えば、なにかしらの、話し合いを
するといったことより、楽しい、コミュニケーションだと
いえると思います
それは、目や耳だけでなく、手も、胃袋も使った
コミュニケーションだからですね


人と人が、なにかしら、チームを作って成果を
だしていく。そういうときに、コミュニケーションこそ
成功させるかぎだと、思います
そうなのですが、コミュニケーションを、たっぷり深くとる
という、経験が、少ないと、感じています


今の生活は、ファストフードにあふれ、町にはコンビニが
あり、家にはインフラが整い、それがあることが
全ての前提のように、感じるでしょう
たとえば、停電、たとえば、大雨で、道路が混乱
こうした、事態が起こると、急に「一人では生きていけない」
ということに直面します


だから、と、思います
できれば、一か月に一度とか、想像力をもって、人と
つながること、を、自分からてまひまかけて、やること
これがいかに大事なことか?


こういうことも、コミュニケーションが大事と気づける
貴重なことなのですね