与謝蕪村

府中市美術館にて、展覧会があった、与謝蕪村
「へたうま」ともいえる、かわいい、ぎこちないかわいさ
面白さがわかる・・・
そしてこの絵を、楽しんだ、18世紀の京都の人たちを
思います


平和だった、こうした、ナンセンスものを楽しむ余裕を
もった、庶民がいたということ。これは江戸時代って
やっぱりすごい、日本人の文化の意識って高いなと
思う、ひとつの、証拠としてだせるなんて、思うのです


府中市美術館は、確か今年の4月くらいにいったのです
そのあと、東京国立博物館で、国宝、鳥獣戯画の展示が
ありました
おそらくは、与謝蕪村は、この鳥獣戯画を知っていたと
思います。だから?描けたのか?はわかりません


「遊び」があるということ。これ、いまの日本のアニメだとか
文化にも共通することだと、想像します
図録を読み返すと、中国風の絵、という解説にて


山水画では(中略)俗気を寄せ付けない深遠さや霊気を漂わせ
そして、崇高でなければならない、という伝統があり・・・
その基本に照らせば、親しみやすく、楽しく、時にかわいい
蕪村の山水画は別世界だ


風景のなかに書かれてる、人物の風情、表情がおかしいというか
かわいいというか、みていて、なごむのだ


こうした、絵を、このんで愛でた、そしてそれを見ながら
俳句をひねり、お茶を楽しんだ人たちの、気持ちの余裕のあること
すこし、たのしんでしまえという、心の高さ、心意気といった
ことを、思わずに、見ていられない


私の絵の楽しみかたの、基本というか、みてどうか
ということ。これは洲之内徹の言葉になぞってるのですが
やっぱり、その絵を手元におきたい、とおもうかどうか
これがとても大きいのだと、思います


18世紀の京都(京都を中心とした)にいた、文化の香りの
する人たちは、蕪村の絵をほしがった。大変な人気だったとも
書いてあります


そんな、人たちの蕪村の、絵を愛でる声が聞こえそうな
気がしてきました


絵を楽しむことで、自分たちの先祖にあたる、日本人のそうした
気持ち、文化をもった、そうした、生き方といったことに
心が躍ります。なんて、なんて、すごいか。高いか
そして、そういう楽しみ方を、自分もできたらいいなという
あこがれさえ、自分のなかに、ふつふつと沸き起こる


文化というのは、実際生き方と、くっついてる
そんなふうにも、思いながら、今日は筆をおきます