中里隆

自由人といえば、聞こえは良いが周りにとってはちょっと迷惑、意地でもやりたい事は
やりたいようにやり遂げる。そんな意思の強い人である。


これは、陶芸の中里隆を、評した、息子さんの中里太亀さんの言葉です
実は、もう10年ちょっとまえになりますが、この中里さんの工房を訪ねて
うつわをひとつ求めて、いました


中里隆の、個展が、菊地寛実記念智美術館で開かれていて、楽しみました
最初に目に飛び込んだのは、紅のかかった、俵型の大壺。


この形、河井寛次郎が確か手掛けていたと、記憶します
そして、寛次郎の言葉として、自分が作ってるものと全く同じ形のものが
たとえば、中東の古い遺跡でみつかったりする・・・そういう不思議が
ことが起こるという、お話でした
偶然の一致なのか?それとも、私が引き合いにだしてるものは
比べてみたら、全然ちがう印象なのか?それも不確かなことです


ただ、きっと、おそらくは、寛次郎の求めて追っかけた世界と
中里隆が、おっかけてる世界は、なにかしら、重なることがあるのだと
感じます


もうこのブログに何回か書いたことなのですが
河井寛次郎が、柳宗悦と仲良くなったという瞬間の話が好きです
朝鮮由来の、白磁の壺、だったり、香炉だったり、柳が部屋においていた
ものを、みて、寛次郎はうなったのだと、書かれています
これほど、いいものをわかるやつは、すごいやつだ。相手を一瞬で
認めたのだと、書かれています


アートを志す人。その自分がいいと思うものを、相手も愛でている
こんな、わかりやすい、人と人を結ぶ、事って、起こるのだ
すごいな、と思って、このシーンを思い出すのが好きだし
人間と人間、こんなふうな、尊敬をお互いもつということで
つきあいがはじまるって、いいなーってあこがれるのです


同じ図録の文章のなかで、中里は人柄が人懐こく、お酒も好きで
そんなことから、人と広く、つきあい、もてなし、会話のなかから
いろんなヒントを得てるのだと、つづります


人は人とやりとりをして、成長をする
きっと、中里隆という人は、なにか人がなにげなくいったことからも
ヒントをもらうだけの、アンテナ、感性をもってるのでしょう


自作のうつわ、自作の料理で人をもてなして、いい話をする
これ、私があこがれる、ひとつの理想の、生き方といっていいことです
うつわ、作りはおそらくは、しないと思いますが、自分の料理で
お酒をふるまい、気持ちのいい、会話ができて、それがまた
生きるヒントになるなんてことは、ずいぶん、すばらしい。ぜひ
やろうと思います


中里隆は、「民藝」ということとは、実際あんまり関わっていないのかな
と思いながら、民藝ということが、少なくともうつわ、ということで
いえば、日本でとても、大きな影響があったことだと、くりかえし
思います


中里隆が認めるところ、うつわ、特に食器としてのうつわ、日本ほど
すばらしいところは、世界中ない、とのこと
そして、いい食器を使うということがいかに、人の美意識ということを
磨くか?そういうことは、よく思うことです


中里隆、素敵でした