アートをみて、今年の心がけを思う

篁 牛人 展覧会を、大倉集古館にてみます


雪山淫婆 訶梨諦母


この表情、怖いとも見える、また、ユーモラス
ともとれる
こうして、作品をみて、思い出すのは棟方志功の作品です


富山県、福光という土地にでかけて、棟方志功の仕事を
みたとき、また美術館で解説を読んだとき、それまでもっていた
イメージが変わりました


棟方志功は、自分の仕事に責任がもてないと、言ってる
このことは、無責任ということにつながるのではない
人間のやることとしては、責任がもてないということだ
つまり、神がわかるレベルなのだ」
このように、柳宗悦がいったといいます


そう思って、代表作といっていい、釈迦十大弟子をみてみると
なんと、表情がいきいきとしてることか?


そうした、記憶をたどって、篁 牛人に、向き合います
なぜ、雪山淫婆、この水墨で書かれた、迫力がある
存在が、気になるのか?
これは、それこそ、神が導いたのではないか
少なくとも、書いてる本人は、神ということを、
意識しながら、書いたのではないか?


雪女は、美女というのは、実際、文筆のなかででてきたことで
地方、伝承のなかでは、こうした、山姥のような姿ということが
あるようだと、解説にあります
それを、調べたのではなくて、感じたのは、この篁ではないのか?


日本という国は、ずっと、女性であり、母性ということを
大事にしていきたと、聞きます
そういうなか、女性のなかにある、自然とのつながり
そして、山姥のようなといったら、石がとんできそうですが
なんといったらいいか、自分の命とつながるところでもってる
激しさ、といったことがあるのではないでしょうか?


感じたことを、作品にする
これは、たぶん、多くのアーティストがしようとする
基本の考えなのだと思います。日本に生きて、日本にいて感じる
そういうことを、作品にしたとき、篁の場合は、こうして
形になった。


風神雷神、竹林虎
力強い、そして、なにかしら、ひょうきんさというのを
だしてる。生きる姿なのかなと感じます


今日は2022年の仕事はじめです
一生懸命やるのは、あたりまえ。だけど、かたくならずに
どこかに、こうしたひょうきんな感じ、ゆるい感じもあって
できていくという感覚が好きです


人と人が協力するのに、なにかしら、言葉をかけあっていきたいと
思います。言葉を使うのなら、やっぱり「笑い」「笑顔」が
あってこそだろうと、思います
今年も一年、よろしくお願いします