偶然、を、大事にできる

数年前、小学校の時の恩師が、「朗読の会」に参加する
ということで、行った、催し。朗読という世界にふれて
とても、よかった気持ちになったのを、思い出します


朗読自体もよかったのですが、でてきた、作品が
古い友人の、墓参りに行って、偶然、また懐かしい人に
会うという内容の、小説でした


この朗読を聞いた後にも思ったこと。実際、SNSだったり
チャットだったりを、つながるためのツールは
たくさんあって、どうかすると、自分が意識しなくても
人が発信していて、自分の行動が見える化してる
なんてことがあります。これは、すごいこととも
言えるのですが、「偶然の良さ」みたいなものは
どんどん、遠くなってしまうということがありそうです


いま、SNSでつながってる、友人のなかに、海外に住んでる
なんて人はいて、それこそ、きわめて安いというか感覚としては
無料で、海外の友人の、日常の一面にふれるなんてことが
できてしまうわけです。そのことも、いいこと、素敵なこと
ともとらえることはできちゃうのですが、人間は欲張りなもの
やっぱり、久しぶりに、偶然に、会うと言ったことの貴重さ
ということもあります


人間の考えだったり、心というのは、一筋縄ではいかないですね
まして、若いときの、あれこれを思うと、なんて幼い、小さな
躓きで、大事なことを、見落とすとか、素晴らしい人に出会ってる
のに、気づけないとか、大切な人を心ならずも傷つけるとか
やっちゃってるって、あるように思います


この墓参りのことが書かれた小説は、若いときの、過ちというのを
偶然、古い友人に会うことで、気づくという内容だったように
思います。
青春のあれこれは、その渦中にいると、その鮮やかすぎるいろいろが
判断を誤らせ、目を曇らせて、こうすればいいのに、ということが
できないということが、ありそうです
そのことを、ある時間を経て、知ること。自分の至らなさ、
偏った考えということを、知り、考え直すこと。学び直すこと
之って、人間にとって、ものすごく大事な時間だと、思うように
なりました


SNSだったり、チャットだったりで、つながるというのは
自分がいい状態で、いろんなことが、うまくいけば、楽しいツールとして
使えばいいことに違いないのですが、ときには、時間をかけて
面倒なことを、いっしょにやる、偶然の気づきがあるということを
待つなんて、態度も、生きていくということでは、欲しいなと思うこと
とも言えそうです


先週末は、千葉のマザー牧場にて遊びました
都会にいると、見落としてる、季節のあれこれを、感じることが
できて、深呼吸しました
人間は、見えるもの、感じるものを、大事にしていくって、いいこと
と思います
季節を感じること。時間が経つということを、感じること
大事な、こと、だと、季節の花、梅や菜の花をみて
思うことでした