書くこと

書く、そのこと自体が楽しいのです
人間は、なにかしら、自分のなにかを表現するという
ことを、求めてるようです。それが、「絵」だったり、なにか
オブジェクトとなっていけば、アートにつながります
身体の表現につながれば、演劇だったり、ということになるのでしょう


このブログ、ずっと書いていて、なぜ、書くのか?というのは
実際のところ、表現する、楽しさがあるといっていいかも
しれません


書くことは、考えることのひとつの方法ということも
あります。仕事には、必ず備忘のこともあり、ノートを1冊
使います。そのとき、書きながら考えるということが
くせになってるということも、あります


マンダラートというツールをご存じでしょうか
一つのキーワードから、まわりに8つの関連する、言葉を書いて
さらに、その8つのまわりにも、できれば8つとつなげます
数と決めることで、関連してることを、ひねりだします


ブログをやったりして、言葉を扱ってると、言葉が頭に
うかぶということは、トレーニングでできるようになっていくのが
自分自身でわかります


マンダラート。ちょっとだけやってみましょう


春→出会い→うきうき→花見→パーティ→新しいこと→習慣
→三日坊主→学ぶ楽しさ→挑戦


えーと、春からはじめて、つなげる8つのキーワードです


脱線しますね
春は出会いの季節です。この出会いということ、実際のところ
素晴らしい出会いがあっても、自分の側にそのすばらしさに気づけない
そういう状態になかなか、ない、アンテナがたってないなどで
その出会いのすばらしさを、つなげていけない、ということが
あるのだと、気づきます


できれば、出会いを、点でなく線にしていくような、そういう
人生を歩みたいところです


書く、ということ。
誰かに伝えるのに、書く、ということもありますね
そういうことを、思うと、書くことも、つながる手段と
いっていいかもしれません。


文章を書くことが楽しくて、誰かになにかを伝えたくて
書き続けます
自画自賛がはいりますが、自分が書いたものを、読み返すというのも
楽しいことです。ひとつには、回想するということにつながる
からとも、思います
過去の自分が語りかけてるというようにとることも
できます


書くこともそうですが、トレーニングするというのは、自分の
可能性を広げることと、ひとつの見方をすれば、同じ意味を
もってることにもなり、これも、楽しさ、嬉しさにつながっていきます