記憶の奥をひっぱりだす

メモをとっておく、ということ
人間はすぐ、忘れるものです。ゆえ、メモして備忘のことを
します


「考具」 加藤昌治
この本のなかで、著者はメモで手を動かすことで、忘れにくく
なります、と書いています
そう、メモをとるのは、それを見直して、思い出す(それも、私は
大事とも思います)ということより、手を動かしておく
ということだと、言っています


手は第二の脳。そう大学のときの学びにでてきました
確かに手を動かしたほうが、脳が活性化するというのは
経験から知っています
そして、書いていると、あれ、自分のいまの脳のなかには
こんなことがあったんだ、という脳のなかみをだす
ということもあるように、思います


どうも、意識して、仮にですが、手も動かさず頭で
シュミレーションできることと、手を動かして、表現、
というとき、ひっぱりだせる、情報、感性からでてきた
なにかしらのイメージなどが、少し違うということも
ありそうなのです


記憶ということ、気になることです
人間は忘れるのですが、何かで思い出すということも
できるようです


白石一文の小説 「君がいないと、小説が書けない」
このなかで、白石は、何十年も前に味わったパンの味を
今、思い出してるというか、味わってると、表現します
そんなことあるのか?という人もいるかもしれませんが
小説とはいえ、白石の言いたいことが、自分のなかで
「あるぞ、ある、ある」となってることに、気が付きます


「味」がそうなら、「感動」もそうだとも言えます


東山魁夷が、京洛四季の、ある絵。円山公園であろうと
思う場所で、枝垂桜と、満月
奥山土牛の、鳴門。その渦潮の色、勢い


その場所に行ってみるからわかる、空気感。おそらくは
芸術家が伝えたいと思った、自然の美


「普遍性」だったり「古典性」のある、自然の美だったり
価値ということが、頭の中で、ばんといわば、爆発するように
伝わってくる、感じる、そういう感覚を知ると、アーティストは
その感性の豊かさ、鋭さが、凡人の自分より数段うえなのだと
気が付き、そのアーティストが感じたものの、いくばくかが
いま自分にも伝わってると、わかって、感動するのです


時間を超えて、人間が忘れてしまうという、なにかしらの
邪魔者をおしやって、つかむことができる、価値、を
自分がつかみかけてる。そういう感覚がうれしいのです


昔読んだ、SFの小説に、人間の脳は、まだまだ未知のことが
あるということ。言い換えれば、まだ人間は自分の脳の
すべてを使うということができてない、ということ
これが、ある程度あたってるとすれば、脳を活性化するという
ことはまだまだ、できそうなどと、想像して、わくわくします