何度も同じ話を

年齢の高い人 自分の親よりうえ、おじいさんおばあさん
そういう年齢の人が、同じ話をするということを
覚えがある人はたくさんいると思います


あるとき、「同じ話をする」というのはいいことだなと
思えるようになりました。実際、1度きり聞いてわかるほど
いろんなものが、わかっていないというか、伝わってこない
ということもあるでしょう。同じ話をするというのは
その話がそれだけ、その人にとっていいことなんだという
ことがあるでしょう


また、記憶という意味では、過去は変わるということも
あるのだ、と、最近思います
このこと、一面をみると、自分の都合のいい解釈に過去を
変えてる、色づけてるという、なにか、薄っぺらさみたいな
ものがあるように見えるのですが、自分が生きていく
というなかで、あの過去の出来事はこんなふうな
いい意味があったんだ、といった、自分のエネルギーに
していくといった、いい意味ではあっていいことと、なりませんか?


平野啓一郎 「マチネの終わりに」
主人公のひとり、洋子がつぶやく。自分がごく小さいとき、おままごとを
していて、遊んでいた、祖母の家の庭の石
その石に、祖母が頭をぶつけて亡くなった
そのことで、遊んでいたときの無邪気な記憶は変わっていってる


白石一文 「君がいないと小説が書けない」
記者時代の先輩が食べさせてくれた、トースト。うまかったのだ
何十年も前のパンの味を自分は今味わってる・・・


人間にとって、大切な記憶というのが、なにかしらで、封じ込められて
あるきっかけで、その封じられたものが、はずれ、その記憶、過去が
蘇ってくる。このことを味わうことができるというのは
人間、生きていての、大きな喜びになってると、気が付きます
だったら、その喜びをくりかえし、味わう、そんな時間があっていい
というか、積極的にあるように行動したくなる


人間が生きるというのは、大変だし
歳をとるというのは、そうした大変さを少しはうまく自分が
行動できるようになるということでもあると、いっていいかと思います


いろんなことが、あって、自分からなにかしら、伝えたい
ということで、自分がよかったと思えることを伝えたいのが
人間でしょう
もちろん、伝わるとき、伝えたいとお互いが思ってるという
そういうときにしたいものですね


そうした、同じ話をできる相手がいる、人生がいいのだと
最近思うのです