読書の話


読書のしかた、といった解説をしてる、テレビを
みました
そのなかで、付箋に「本文を引用」、またその下に
「自分の感じたこと、印象」を書いておくとでてきました


ええ、やってますよ、と思いました
このブログがまさ、その一つのツールです


たとえば、「マチネの終わりに」 平野啓一郎
の、読後のつぶやき的に、こんなことを、書きます


「記憶」ということが、変えられるということが、ひとつの主題
として、書かれています。主人公は、バッハのフーガのところを
例に出して、一度聞いた主題が、そのあとの展開を聞いた後、もう一度
聞くと、印象が変わるものだと、言います


ここで思い出すのが、灰谷健次郎の小説、「天の瞳」での主人公
倫太郎と、その祖父の会話です。「記憶」というのは、死んでゆく人が
いいこと、生きるための知恵といったことを、言う。これを覚えておくこと
その肉体は滅んでも、聞いたそのもうひとりの人間のなかで、その
「いいこと」「生きるための知恵」といったことを、記憶させ
いわば、その死んでいく人を生かしておく、そういうためにあるのだ
ということ


人の記憶というのが、「生きた証」生きていて、残すべきもの
といったことといっていいなら、まさに、「その人はまだ生きている」
といっていいのかもしれません


さて、読書というのも、ある人の生き方、生きる知恵といったことを
知る、大切なツールなのだといっていいかもしれません
小説は、まさに「生き方」を知るためにあるといってもいいかも
しれません


河合隼雄先生は、自分と、ちがう人の考えだったり、生き方というのを
感じるために、小説を読みなさいと、言います
例えば、同性愛のまっただなかにいる人の気持ち。自分がまったくそのことと
相容れない、気持ち、考えだったとして、小説には、非常にうまくそのことを
表現した作品があります、と、綴ります


同じく、例えば、自分がまだ若い(20代、30代とか)の男性だったとして
更年期障害の女性の気持ちをどう、想像するのか
これも、小説だったり、映画だったりにヒントがあると、説明します


本を読むというのは、自分とはちがう人を知るといっていいかも
しれません


このところ、世代が自分より若い人に会って、時々思うこと
相手のことを、想像したり、することが、下手になってる人が
そこそこ、多いのではないか?ということですね
もちろん、自分だって、時と場合によっては、下手ってときも
あります。だけど、想像するということを、しようという態度もない
ということ、があるようです


そうした、他人の気持ちを知る、自分とちがう人と接するとき
どうするということ、ここをそれなりに、トレーニングするのに
読書は、いいかなと思うところです