仕事と生き方

これ、今やらなくてはならないな、ということに
集中して、自分の力をだせるって、大事なことです
人間は、あたりまえのことを、あたりまえにやるって、実際
そんなに、簡単ではないですね


思い出すと、学生のころ、「勉強するの、大事」って
自分で理解してるつもりなのに、そうそうは、集中できない
そういう思いをした人って、多いのではないでしょうか


いつか、小説にでてきたのですが
勉強することと、(おそらくそんなに責任が重くない)
仕事を担当者としてやるということ
実は、勉強するほうが、難しいという記述があり
「今」の自分なら、ああ、そうかもとも思います


もっとも20代だったり、そのそんなに責任のない
担当者としてしか、仕事しかしていない、自分としては
反発もしましたね


担当者の仕事って、多くの場合、なにか判断して決めるとか
それは少なくて、言ってみれば、フォーマットにそって
一定のルーティンをやるということが多いのも、事実でしょう
一方、勉強するというのは、いわば、未知のことを、自分のなかに
理解するということを繰り返すということですから、
大変でしょう
勉強する=記憶すると、誤解してる人は、ちがうというかも
しれませんがね


ただ、「記憶する」というのも、大事は大事です
いろんな知識があって、それを、つなげるだとか、できたら
化学変化みたいなことがあって、それで、「理解」ということがあり
その理解から、行動して、自分のできることがふえるということに
なろうかとも思いますね


そういう意味では、記憶する、まあ、暗記する
といってもいいことも、一定のところ、やるということも
ひとつのトレーニングとしてやったほうがいいこととも
いえます


さて、最初にもどって、やらなくてはならないことに
集中するということ。どうやるか?
おそらくは、やっぱりちょっとずつ、ということが、一つのやり方と
思います
「筋トレ」に似てるかもしれません
筋トレも、最初、え、こんなにきついの?ということが
ちょっとずつ、日々やると、最初きつかったのが、そうでもない
となっていくのは、知ってるのではないでしょうか?


仕事をするということは、その仕事の対象に、自分をなにかできる
ように、自分を変えるという、部分があると思います
「関心」をまずもつこと
さらには、ある一定の責任をはたすべく、行動を続けること
ここに、ヒントがあるのではないでしょうか


ある仕事をずっと続けてきたという、人と話すと、面白い
ということが、たびたびあります。その人の「生き方」が
その仕事を、なにかちょっとでもうまくやる、ということに
結びついてるということが、わかったりするのです


そして、どうして、そういう生き方まで、できるのかと
考えると、仕事するということの、すばらしさが、見えてくる
といっていいと、感じます


私?でいえば、どうでしょうか?
「人を信じることのすばらしさ」を感じたいかな?
ですかね