若いとき

若いときは、迷うということがあると思います
自分の可能性って、どうなのか?自分が社会で生きていくって
どうなのか?迷うと思います
自分自身の20代を思い出します。自分で自分に営業の能力が
あると思っていました。それはいままで続いていて、お客様から
ニーズを引き出し、そのニーズが満たされるように動くこと
これは、「価値」を生むということだし、そうできるように
自分がリードしていく、営業って、とてもやりがいがあると
感じました


一方、企業の一員として、動くとはどういうこと?というのも
迷いました。お客様のニーズはこちら、だけど、そのときの
企業の目的は、別のところにあって、つまりは、お客様の
ニーズにあっていない、サービス、製品を進めてるということが
よくあったことなんですね


企業に所属してる以上、企業が立てた、つまり上司が考えた
目的に向かって、真剣に走る。そういうことがなければ、
企業はなりたちません。もちろん、そのメンバー自身も
そうでない動きをして、少なくとも一定時間、チームで
存在感をだすなんてことは、できません


若い時は、迷うということがあると思います
「他人から信頼をもらう」ということの、大切さということが
なかなか、測れない、自分がいると思います
そういうとき、具体的には、親だったり、親心をもった、先生だったり
先輩だったりという、そういう存在を、いい関係を築けたことが
あるかということが、ひとつの、方向の見え方とも、言えます


複数のそうした、自分より上位者と、いい関係を築けたという
感覚は、新たな上位者とも、どうしていくかというときの
大きなヒントになります


同じ立場、同じくらいの年齢だけだと、どうするかわからなく
なります。
チームは、いろんなことが起こります。ひとりだけ、で解決する
って困難なことが多いです
ひとつには、ひとりで、いつも客観的な思考をするっていうのは
ものすごく難しいですね
対話しながら、そうした、客観的な事実をみつめて、その事実に
基づいて、ある行動をとるということが求められます


迷うということは、悪いことだけ、ではないのですね
つまり、「生みの苦しみ」という言葉がありますが、悩んで
迷って、考えるから、そのあと、自分はこうするということに
気づけるということがあるのではないでしょうか?


迷うということ。未来が見えない以上なにかに「かける」
という行為が必要になります。そして、「かける」という行為は
ときに、はずれて、なんであのとき、ちがう選択をしなかったか
とか、思うことにもなりかねません
ですが、準備して、考えて、考え抜いて「かける」ということを
した以上、あまり、後悔はしないと思います
そういう生き方がいいのだと、思えると、思います


わからないことを、わかるようにするのが、生きるということ
といってもいいかもしれません
若い時って、いつまで?という話をすれば、いつまででしょうか?
こういう「生きるとは」ということに、自分なりに答をみつけて
それからは、自分では若いところもあるつもりで、それでいて
迷うことが、そんなに、苦しくはなくなったということは