食べ物と記憶の話

今の世の中は、家族以外の人への接触を減らすこと
が、大事で、そういう意味で、たまに会うはずの
親戚への行き来というのは、もう1年以上しないことに
なります


そして、アナログなこと、手紙でつながっていきます
手紙には、昔話を書きます
昔話、実際のところ、いいものです
なにか、古い記憶の話をするのは、「新しさがない」だとか
「未来につながらない」という感覚で、「やらなくてもいいもの」
みたいな、扱いをされるのが多いように思うのですね


でも、今生きてる、昔から知ってる古いつきあいの人と
あのとき、こんなことがあったね。という話をするのは
実は、脳を活性化し、自分のことを振り返る中で
気持ちを、いきいきとさせるのに、役立つことがあるのだと
感じるのです


例えば、「食べ物」の話
共通の、大事な人だった人の話などをして
その人が作った、おいしいものを、なつかしむのは
実はとても、いいことにも思えます


私の場合は、おばあちゃんが作った、お菓子だの、漬物だの
これ、おいしいんですよね。漬物は、野菜の扱いを知ってる
そういう人が、自然の気候を生かした作りをすれば
やっぱり、おいしいのです
お菓子も、自然の風味をいかした、さつまいもの、おまんじゅう
だとか、ヨモギ団子なんて、思い出します


ごく最近、見た、映画。福山雅治石田ゆり子主演の
「マチネの終わりに」この前半のシーンで、「過去って
変えられないって思ってる人、いるけど、あることが
起こって、そのあと、たどる過去の印象って、変わること
のほうが多いのではないか」


こんなふうな、言葉に反応します


白石一文の小説、「君がいないと小説が書けない」の
なかで、白石は、先輩編集者で、グルメだった先輩が
25年前に食べさせてくれた、トーストの味を、いま
味わってるという、シーンを書きます


自分が、こうだと思ってる、過去の記憶は
変わる。こんなふうに、思うと、「何を信じたらいいのか」
という、怖い話にもなってしまいます
いいえ、こわい話ではなくて、人間の感覚といったことの
あいまいさ、そして、ある面、守備範囲の広さということも
あるのかな、とも思うのです


ある過去の記憶が、自分の感覚を支配するってすごく
あるようです。その過去の印象自体が変わるのなら
感覚を広げていく、深めていくって、そういうことで
できる可能性があるって、気がするのです


親戚のおばさんに、10代のころに味わった、家族の
味の話を書きます
また、そのころ起こった、他愛のない、やりとりを
思い出したりします


過去は、都合のいいように、思い出すようです
また、それはそれで、楽しいなら、またよしとするのも
いいかもしれません


楽しさ、を、自分で喚起できるそれも
大事な、能力ですね