春は、出会いと別れの季節です
10代の、とりわけ、中学から高校へ入学したという
ときを、思い出すと、なんて、人間として豊かな人との
出会いがあったことかと、思い出されます
そして、その時の出会いの、何人かはいまも、笑顔で
再会し、お互いの、元気なことを、確かめ、語り
ときには、異業種交流会のような、楽しさがあります


数か月前、NHKオンデマンドにより、プロフェッショナル仕事の流儀という
番組で、ヒット商品をどんどん、生み出すという、人tのドキュメントが
ありました
その人の、意思決定のしかたというのに、力強くうなづく自分がいました
チームに、人間としての優しさといったことを、意識できた人がいて
その人が確信犯的に、これでいきたいといったら、信じますと
いうのですね。


人間としての、優しさ。具体化すれば、思いやりだったり、相手に
寄り添う気持ちだったり、尊敬だったり、相手を尊重するために
なにかしら、自分をトレーニングに導くようななにかでは
ないでしょうか?


こうした、人間としての高い精神性といったことを、高校の仲間と
やりとりするなかで、自分のなかに絶対的な価値として位置づけを
したということが、すごく大きな財産だと、感じるのです


人とやりとりして、自分を成長させる。このことが大事なのですが
やりとりする、これはいっときは、必ず上も下もない「仲間」と
どんどん、がんがんにやりとりするということがあって、まず
基礎ができるということもあるのかなと、想像します


河合隼雄先生は、俳優とカウンセリングは共通点があると
著書には、解説しています。ある人、自分でない他人の
人生を歩てみる、そういうことがあるからだと、説明します
相手の気持ちを受け取れる。そういうことが、人生においてなんて
大事なことか?そして、受け取れないことから、なんて、悲しい
また、残念なことが起きるのか?


色んな意味で、話し合って、やりとりして、なにかにいきつく
その過程を含めた、人と人が関わりあうのは素晴らしいのだという
基本の考えというのは、高校時代からだなと、思うのです


その高校時代からのつきあいで、年に何回かは「さし」でお酒を
飲み、いろんなことを、くったくなく話せる人がいます
そういう人と、話すときの、こちらの態度としては「手になにも
もたない」つまり、「さらけだした」自分で向き合うという
ことです


実際のところ、社会にでてなにかしらの役割をもって、また責任を
もって、仕事しますね。おかげさまというか、それが20年、30年と
なれば、責任は重くなり、それだけ、仕事で周りを支えてるという
自負もあるでしょうが、なかなか、「さらけだした」状態でなにか
するというより、その役割を全うするための、なにかを意識した
こうするべきといった考えに基づいた、行動だったり振舞いを
してる、ことになるでしょう。さらけだすことはなかなかできない


だからといって、どこかで、爆発するように、自分のいいたいことを
いうのでは、きっとそれは、自分を満足させた、リラクゼーションには
つながらない、でしょう
そこで、一定のさらけだせるといった友人と過ごすひととき
というのが、ものすごく、貴重と思えてくるのです