アート好きな日本人

日本人には、他人を尊重する、気持ちがあると思います
コミュニティの良さを、信じていて、いっしょに生きる人が
なにか、助かる、そういうことを、自らすすんでやる
そういう気持ちがある、と思っています


なぜそうなったのか?というと、一つのヒントは
磯田道史氏が著作でいうところの、江戸時代の内戦の
ない世の中を、すでに17世紀で存在させた、ということが
大きいと知りました


ひとつの民族が、内戦がない、そういう状態で長く
存在するということの、すばらしさといってもいいかも
しれません
それにより、産業は発達し、市民も芸術に親しむという
レベルアップがあるということ
そうしたことは、2年前から、池大雅、与謝野蕪村の存在
といったこともあり、自分のなかで、想像が広がります


池大雅文人といっていい、存在だったというのですね
書だったり、絵を描いたり、で、生きていけた、食っていけた
ということなんですよね。それも、どこかのお殿様のお抱え
なんてことはなくて、市民のなかの、アートをたしなむ人に
支えられたといっていいのではないかと、思えてきます


ご存じのように、欧米で、市民が絵を買ったりということが
でてくるのは、19世紀といっていいのではないでしょうか
日本の、庶民のアートへの眼ざめはもっと早いといっていい
(仮に、池大雅、与謝野蕪村あたりが、その証として、だせるなら
100年は速いといっていいでしょうね)


そうした、江戸時代の、庶民が楽しむといった、レベルの高さが
あったから、落語、歌舞伎、茶の湯、浮世絵といったことを
庶民が楽しみ、文化として、繁栄したということが
ありそうです


そうした、楽しむ文化をずっと維持してきた、私たちの
精神面での、豊かなことが、他人を喜ばせるということに
つながっていくと、感じます


ご存じのように、趣味の世界で人とつながるのは
とても、うれしい、つながり方といっていいのではないでしょうか
世代も、性別も、いろんなものを超えて、趣味の「これが好き」
ということで、仲良くなれること。このことを知ってるかどうか
ということで、人生の豊かさということが、変わると思っています
そして、その小道具として、いろんなものに、波及します
料理がそうでしょう、もちろん、それぞれ、絵から、書だったり
俳句、和歌の世界、また器の世界へのと、広がるのです


19世紀に、印象派に代表される、まさにアートの世界での
おおきなうねりのなかに、日本の存在が、交わりあっていく
それは、後世の私たちからすると、ひとつの、必然といっていい
出来事だったのではないか、なんて、思えてきます