風景を愛でる

池田町立美術館に山下大五郎の先端100年の回顧展を
みたのは、図録の年月日を見ると、12年前のことと
わかります


この山下大五郎が、安曇野の美しさというのを、私に教えて
くれました。画家、アーティストが、その対象物の美しさの
水先案内人になってくれる、これは、実際多くあることです
そして、安曇野がいい、好きだなとすでに思っていたけれど
山下大五郎の絵を通して、有明山が、くっきりと浮かび
田んぼの重なりの風景が、輝きだしたといっていいのです


山下大五郎が、いまの藤沢市、生まれたころの地名でいえば、鎌倉郡
出身だということも、親近感を覚える一つの要素でした
今、その周辺にいっても、農家はわからない。あるのかもしれないけど
少なくとも、山下が生まれた、茅葺屋根といった家屋はない
唯一、鎌倉で、そのころの農家に近いのだろうと、思う、茅葺屋根を
知ることができるのは、二階堂にある、覚園寺ですね。広い境内に
昭和、戦後になってから、茅葺屋根の農家を移築したという、記述が
ありました


山下大五郎は、自分が生まれた家である、茅葺屋根、茅葺屋根を囲む木々
ということを、モチーフにずいぶん、絵を描いています。その古い日本家屋に
日本の風景をみていたということが、ありそうです


日本家屋の美しさと、いえば、山下大五郎とも、世代の近い東山魁夷
京都の連作、京洛四季のなかの「歳暮る」があります
京都の駅のやや近いような、そういった場所から東山方向を描いた
この作品。家の重なり。人はいない。家が主人公といっていいとも
見えます


今日は茅葺屋根といったことを、くりかえし、ここにだしますが
茅葺屋根が好きとかいって、その家に住みたいかなどと思うと
窓はサッシ、エアコンでマンションのハコにいま住んでる自分が
隙間風だらけの茅葺屋根に住めるかは、否定的です


だから、絵空事にはちがいないのですが、山下が描いた、日本の風景に
あこがれ、それには、家ということもあるなと、思ったりします


日本の地方に、日本の良さが残ってる。そう思います
風景しかり、食文化しかり、そしてなにより、そこに住んでる人の
気持ち、意識なのかなと思います


これは、日本だけでない、特にヨーロッパなどはそうなのではと
思うことですが、都会には、便利さがありますが、それと引き換えに
歴史、文化というものを締め出してる、そういう要素があると、思えてきます


日本人はこれから、どう生きるのか
確かにまえより、自由になったということがありそうです
その自由のなか、そして、世界の人ともっと、交流していく
というなか、日本人のアイデンティティはどんどん失われている


それにほんのちょっとでいい、自分なりに、日本人のアイデンティティ
追いかけて、できれば、いっしょにいる相手にああ、長澤は日本人の
こういういいところを、身に着けたのだと、わかるようななにかを
していたいと、思うのです