マリア様

5年くらいまえだったと、思います
フランス、パリにある、有名なノートルダム寺院、この
ノートルダムというのは、聖マリアのことだと、書いてある
新聞の記事を読みました。そして、パリのここだけでなく
フランスには、ノートルダム寺院があるということも
書いてありました


聖マリア、が、教会の名前としてほしい、なかにはおそらくは
マリア像があって、それを慕う人から「マリア様」と
拝んでもらったりする、ということだと思います


一方、日本で、観音様というのが、いろんな場所で、信仰の
対象です。観音様とマリア様、いっしょにするのは、乱暴と
思いつつ、「母なる」ものを、求めて、拝むというのは
共通なものがあると、感じるのです


宗教のあれこれを、ここに書くほど、勉強もなにもしていない
です。ただ、疲れたなとか、ちょっとまいったなというときに
母なるものを、拝んで、ああ、ありがたいと、やりたいのは
なんとなくは、ああ、そうだろうなと、感じます
そういうことで、いいのだと。それで、まるくおさまって
まあまあ、となるなら、いいのだと、そんな感じがします


世の中で、いろんなことを、やっていると、どうも人の努力では
どうにもならない、ということがあるように、思います
一方、いろんな巡り合わせで、ありがたいと思うこともある
理屈では、どうして?ということが、説明できないのだけど
あ、信じられないけど、うれしいとか、びっくりとかが
ある。それも、「神様のおかげ」と思ってることが、なにかしら
人のいろいろが、及ばないことがあるのだと、思ってることが
まあ、あったほうがいいと、感じます


人は、限界をもってるものです。人は、なんでもできると
そんなふうに、奢ったとも見える、生き方をするのは、あまり
よろしくないと、思うのです


人間は、生かされてる、だれかが、助かるような役割を、自分でも
努力もするけど、神様が巡り合わせてくれて、そうさせてくれてる
そう思ってるところがあって、どうも、バランスがとれるということに
なりそうです


パリには、ルーブル美術館オルセー美術館とあって、人々が
「美」を求めて、ずっと生きてるという証がありました
美とはなにか
美、とは、千住博さんは、力強くいきることと、説明します
羊が大きいと書いて、美。
生きることにつながるのです、と、説明します


人間には弱さもあって、へこんだときは、マリア様と拝む
ときがあっていい。でもそうでないときは、自分で自分の生きる力を
たくわえ、またそれを発揮し、力強く、美しく、生きるというのが
求められます。そういう生きるということを、して、ときには
マリア様の下で、休むのもいい、そういうことを、教えてもらった
ように、思います


生きてるということは、それだけで、すごいことだと、ときに
思い出している、そういうことが大事です