人事を尽くして天命を待つ

いままでに、何度か、表題に書いたような、人事を尽くして
天命を待つといった、気持ちを持てたことがあります
「やるべきこと、準備といったことは、自分としては十分やった」
こういう気持ちにほんとうになれるとしたら、あとは、「神様」のみが
知ってるのだと、ひとつ、上の境地といったことになれる、と
「知識では」知っています


今日はこのブログを書いていて、ごく最近「瞑想」ということを
練習してみて、自分の意識を、自分が幸福になっていく想像と
行ったことに、向けて、自分で自分を癒していくといった
方向のもと、やってみたということがありました


そして、思い出したのが、人事を尽くして天命を待つという
言葉でした。いい準備をして、ほんとに集中できれば、この
気持ちを持てるということ、いいことです


ただ、忙しすぎてしまう、仕事の仕方が、まさに「集団皿回し状態」
みたいなことになっていて、余裕がない。一日のうち、できれば
1時間、そこまで持てなくても、一週間に一度、1時間とか振り返り
自分を見つめる時間ってあったらいいのに、とか、思いますが
そういうことができてる人って、果たして、どのくらいの割合で
いるでしょうか


大量のメールに追いかけられ、アポイントだったり、ビジネス上の
何かしらの企画のアイディアだし、また、会議の準備、さらには
社内調整、社外での調整などに、気持ちと時間を使い切って
ぐるぐるやってるよ、が、現代人の仕事のしかたのように
感じます


できれば、大事なことを「決める」といったところでは、1日とか
余裕をもって、対処して、2度目、3度目、観点をかえて、考える
ということを、したい、と思う。だけど、相当な割合の場合
そうした、余裕を持った、判断は、時間的に許されないと、感じます


自分が十分、準備して臨むなにかしらをやる。そうしたことが
ビジネスマンだけではないと思いますが、「仕事してる」と意識してる
人だったら、ぜひ、必要だと思います


社長として、働いていて、ときどき、「ビジョン」ということが
気になります。自分は、社員が何度もみて、「そうだ」と思ってくれる
ビジョンをしっかり、発信できているか


ついつい、これだけ、不確実、あいまいなことが多いと、ビジョンも
勢い、抽象的になりやすいですね。ときに抽象的なことを
発信するのも、大事と最近、理解しました。ただ、一方、抽象的な
ことばかりだと、やっぱりこれはつらい、ですかね
抽象的なこと、具体的なことと、混ぜた、発信がほしいです


最近読んだ本に、法令順守よりも、自分の感覚で物事をとらえるべき
(ずいぶん、前後端折りますが)と書かれてる文章にふれて
ちょっと、最近感じてることの感覚に近かったので、うれしい
思いをしました


そして、ビジョンとは、共感を伴わなければ、意味が減るという
説明もありました。もちろん、知ってはいる。しかしながら共感を
伴う、ビジョンの発信、かなり、ハードルがあがりますね


人事を尽くして天命を待つ
そういう気持ちを、忘れない、そして作り出していく
自分に、反省を込めて書きました