可能性を広げること

2部ないし3部咲き、といったお花見をいたしました
「満開」と比べたら、寂しいでしょ、それはそうかもしれないですが
これから、もっと咲くのだ、と思いながら、見てるのも
悪くないです
なかなか、いいお花見でしたよ。


実際、世の中で起こることでも、可能性に期待して、待つという
ことは、よく起こることですね。つまり「待つ」という行為の
なかに、これからよくなるとか、これから、花開くなにかを
期待して、待つのは、「楽しさをもった待つという行為」として
いいものだと、とらえることができるでしょう


子どもが、成長するのを、待つ
若い人が、いろんな体験、経験を経て、たくましく仕事ができる
ようになるのを、待つ


ある読み物に、一定以上昔、そう50年まえくらいまででしょうか
弟子になるというのは、住み込みがあたりまえ、住み込みで
その家の、たとえば、家事だったり、子供の世話などをしながら
その師匠のなにかを学ぶというのが、普通ということが
あったという記述を読みました
実際、私自身だとか、私の周りにいる友人だって、そんな経験は
もうしないというかしてるとしても、とても稀といっていい
状況は会ったと思います。昭和の前半くらいまででしょうか
だけど、その住み込みのやり方は、まさに師匠の生きてる姿を
そのままみさせてもらって、学びということ、その1点を思うと
(弊害もあるかもしれませんが)すごいこととも、思います


「学ぶ」ということも、なにかしら、こうするというフォーマットが
ほしいということも、あるような気がいたします
ある社員がいいました。私たち、システム開発の仕事をしていて
プロジェクトでは、だいたいは、フォーマットが用意されていて
それにのっかっていくということがあります
だけど、管理職も兼ねているその社員がいったこと。本社の
仕事って、フォーマットがない、のですよと。


フォーマットがない状態で、試行錯誤しながら、仕事をする
これ、大変とも言えますが、面白いとも言えます
なにかといえば、「手ごたえ」でしょうね
手ごたえを、確認しながら、やってみるということ
フォーマットがひかれているのは、楽といえばそうですが
手ごたえといったことは、前にフォーマットを作った時点で
織り込み済みだったりするわけですよね


フォーマットがない状態でやるということは、手ごたえによって
打ち手を変える、なにかを変えるといったことを、繰り返し
ながら、自分の感覚を研ぎ澄ませてくということが、大きなもの
と、あると、認識します


誰かの対応なりを、そのまま、写し取るとなれば、上記に書いたような
師匠の生き方をそのまま、受け取るといったやり方って、有効かも
しれないですよ


ただ、実際のところ、住み込みで弟子になるといったことは
たぶん、敷居も高いし、実現性は低いでしょう。だったら、住み込みでの
エッセンスくらい、真似できるようななにかを、取り入れられないのか?と
思ったりします
当社では、その考えのもとに、回数としては、3回とか、一泊二日の研修が
あります。寝食をともにするということで、疑似体験をする
ということですね


ある企業が、キャンプの手法、「火を囲んで」のミーティングを
するという話をだしていました。これも、いいのなかと思います


絆を作るということ
なにか、「日常にないこと」というのを、やるということって
有効とも思います


研修、宿泊の研修をやって、思うこと
これは日常にない、空間、時間を使ってるということ
そういう「わざわざ」のことがあって、見えるとか伝わることがある
そんなふうに、思ったりします