大事なことを、みつける

1週間ほど、前、テレビをみていたら
整形手術ということ、する人の割合が増えてる
という話がでていました。その前提として、SNSでみせる
自分の顔を、アプリで修正するというのは、ほんとに
簡単にできて、それにはまる→その修正したほうの自分を
実物も近づけたくなる。


この流れが、整形するということを、する、後押しになり
実際やっていくということ
これ、自分の顔を、変えるということになると
こわいこととも言えます
また、同じ番組のなかで、たとえ、表面のみてくれだけ
変えても、心は満たされない(という人もいる)という
ことが放送されていて、少しどうなんだろうと、思いました


SNS、つまり、デジタルの、実際のリアルじゃない自分を
みせることが、増えてる中、そうした、自分の容姿を
どうしていくというのは、ひとつクローズアップされるのだと
思ったことでもありました


「顔じゃないよ、心だよ」と、安易になにか言うのも
説得力はないのかもしれない
だけど、やっぱり、長く生きていて大事なのは、心かなとも
思ったりします


去年、知り合いの人の結婚式がありました
その結婚式の席上で、その結婚した本人を赤ん坊のときから
知ってるという人が、こんなにうれしいことはないと、目を細めて
いました。そのうれしさが、伝わってきました
また、若い人がたくさん、その場にいたのですが、そうした
10代、20代の人より、私は(いま59歳)おそらく同年代のその
目を細めて喜んでる人に気持ちが、ぐっと伝わってるように
思ったのです


いいかえれば、私なりに生きてる経験が多いということから
また、どんなことがうれしいことか、わかるということで
その人の喜びに共振できた、シンクロできたといっていいんだと
思うのです


自分が長い時間、みてきたなにか、そう「人」ということがうかびますが
人だけでなく、たとえば、ある文化のいろいろ、アートもいいし音楽もいい
そうしたことの成果がなにかみえる。自分が関わってきた、なにかしらに
ついて、うれしいことが起こること。これほんとに大事にしたいと
思うし、繰り返しだとほんとにうれしくなる


アートなら、近い存在のアートを作り出す、アーティストと関わること
それが、とてもうれしいことです


「人」であれば、なにかしら、応援してる人が成果をだすというのは
うれしいことです


生きていて、うれしいことというのは、たくさんあります
「生きててよかった」という瞬間に出会ってほしいと思います
たとえば、そうした喜びは、単純に顔がどうした?目がぱっちり
してるだとか、誰それのタレントと、ちょっと似てるとか
そんなことと次元がちがう喜びを、見つけられるものです


そして、できれば、そうした生きててよかったを、作り出したい
また、誰かが生きててよかったという場面に出会えるために
なにかを、私はしたい


そんなふうな生き方をできるということが、心を多面的に豊かに
強くして行ける。そうしたことを、伝えあえる、世の中にしたい


SNSはある部分だけ、強調して、伝える効果があるようです
インスタなんて特にそうなんじゃないかって、見える
もちろん、インスタ映えなんてことを、ひろげてるSNS全体も
そうとも、言えそう


大事なことは、なにかということを、問い続けるような
生きる態度がほしい
もっと、高い次元で、いいなということがあるということを
知ってほしい