言葉で伝わるもの、伝わらないもの

ドリアン助川 「プチ革命 言葉の森を育てよう」から
河瀬直美との対談にて、言葉が伝わらないという、文章がある
なにか、イメージを伝えようとしたときに、日常使われてる
日本語だと、伝えるということが難しい、そこで「古語」を
使うという


とても、気になる文章です
どうも、「考える」ということ自体に、言葉が大きく関わってる
ということがあって、言葉で伝わらないものというのが、どうなのか
人と話すと、ずれがいつもあるなかで、お互いのいろいろを
交換するということが、ある、といっていいでしょう


そこで、言葉で伝わらないものが伝わった、感じがするとき
感動するということも、ありそうです


「憧れ」といっていい、感情とともに、そうした、言葉で伝わらない
なにかを、いっしょにしようという、感覚でしてるのが、自然の美を
一緒に見るということですね


今、私は鶴見川のほとりに住んでいて、東南向きの窓があって
空気がとっても澄んでいる朝は、それだけで、自然に感謝したくなる
朝の美しい空をみることができます


こうした、絶対的といっていい、自然の美をみて、いいねと
思う気持ち、こういうことを、大事にしたいなと思います


絵を描く、映画を作る、そういうことも、実際のところ
そのメディアでしか伝わらないものというのを、意識したとき
深くなるといっていいかもしれないですね


言葉で伝わらないものというのは、実はあるのだと
覚えておくということは、とっても重要です
それは、ときには「なぜ、生きてるのか」「自分の生きがいとは」
ということに、つながっているのかなと、感じるのです
そういうふうに、信じていたいということから、「生きててよかった」
という時間を持てる、持つということを積極的にしようという
そういう生き方、が大事ではないかと、つながっていきます


生きててよかったというのは、たとえば、他人と交流していて
なにかしら、自分にいいものを、さしだしてくれていて
それに気づくということ。これも、生きててよかったなのでは
ないでしょうか


ここ、10年、いいえ、20年に近いでしょうか、「メール」だったり
SNS」だったりと、デジタルで、人になにかを伝えるというのが
一般的になりつつあります。それは便利ということで
どんどんひろがりました。だけど、このブログもそうですが
デジタルな言葉、文字というのは、どうも冷たいのです


だから、自分としてはアナログなものと、まぜて使いたいと
いつも思います。打合せも何回かに一度でもいいから
対面を混ぜたい。人になにか伝えるのも、LINEもいいけど
はがきとか、手紙を書きたい


単純な話。手書きのはがきというのは、もうもらうのは
めずらしいので、それをもらったことで、うれしくなる、
プチ、生きててよかったがあるといっていいようにも
思います


人間、生きなければなりませんね
そのために、収入を得る、仕事もあります
そうしたとき、言葉では伝わらないことを、じっと待つというのも
できない、ということ、これも事実でしょう
ですが、そのことがあるのだ、いつかは伝わるようにしようと
心に持ちながら、言葉も使って、人と交流、打合せ、なにか
価値を生みだすための、いろいろをしよう、それがいいこと
やったほうがいいこと、と、信じています