楽しかったこと、伝えてみる

旅先での、楽しかったことを
伝えようとするとき、相手と自分に情報量の差が
大きければ、やっぱりなかなか伝わらないということが
起きてしまいます


今回、パリ旅行して、あのパリのルーブル、セーヌにかかる橋から
みた光景、もちろん、アートの作品について、おそらくは
そこそこ的確な言葉を使ったとしても、パリを実際みていない
人には、リアルなイメージはなかなか、伝わらないもの
それが伝わると言う人は、きっとストーリィテラーとして
相当な才能がある人といっていいかもしれませんね


だけど、仲がいい人だったり、パリだったり、アートだったりに
関心が高い人たちは、なにか感じてくれます。正確には
自分たちで感じようと、アンテナを高くして、ときには想像力を
使ってこちらの拙い表現を補ってくれるということが
たぶん、正しいのでしょう


親しい人だったら、私がなにを伝えたいのか、言ってみれば
私に関心が高いゆえに、受け取るアンテナを高くできるのですね
私が、感動した風景、絵がどんなだったか、自分が持ってる
そうした関連の知識だったり、頭に浮かぶものを総動員して
受け取ろうとしてくれるというわけですね


パリ、そのものに関心が高いとしたら?
そのきっかけは、映画でしょうか?それとも、歴史でしょうか
それとも、なにかしらの、学問?文化?
それにしても、関心があったら、そこから、共通項をさがす
なりして、自分のなかの、イメージを膨らませるということが
できるのかもしれません。でもこの場合も、もし実際行っていない
のに、アンテナを高くできるとしたら、相当、トレーニングされた
といっていい、素晴らしい感性をもってるといっていいように
思います


なにか、素晴らしいもの、文化として、ずっとふれていたいだとか
高い、ずっと、追っかけていきたい、人間の造形としての、高いものが
見えてるときだとか、そういうものを感じて、ときにそれを誰かに
伝えようとするということは、いい行為ということが言えそうです


「いい」といってるのは、まず自分のしてることを、確認、また今後
どんな方法、にて、その対象に迫るのかということの、作戦会議と
いっていい場面になります。その伝えようとしてる行為そのものが
レーニングの場といっていいかもしれません


話はとびますが、せんだっての親しい人との話し合いのなかで
結婚式を準備するって、本当に大変という話がでました
これも、経験してると、とてもわかりやすい、いくつかのことなのですが
そもそも、関心がないとなると、結婚式の大変さを話で理解してもらう
というのは、おそらくできなくなります


こうしたことも、話の糸口は、いかに関心をもってもらうか
ということに、集約されると感じます
当初、関心がないとしても、いま話してる相手が一生懸命
話してくれるから、その場では最低限、一定の関心はもってみる
とかでしょうか?


伝えるということに、改めて、面白さ、難しさを感じた
休日。でも仕事を離れて、こうして、楽しいことで一生懸命話してみる
なんてことは、おそらくはとてもいい、気分転換の時間だったと
思えて、うれしいのです