自分のなかのものを、出し切って、む、これ以上
アウトプットはだせないな、というときが、あるかなと思います
そんなときに、自分のなかに、いかに力をためるか
ひとつには、おいしいものを食べるということが
ありそうです。食いしん坊な私。おいしいものを
いただくと、あ、これでまた、このあとがんばるぞと
単純に思うのです。食べ物がおいしいというのは
なんて、ありがたいことか?特に素材のよさを活かす
ような、そうした、「生きてるもの」というのが身体に
はいるというのは、いかに素晴らしいことか
野菜、肉、魚、すべての食材は生きてるのだと
思うのです。特に生鮮品は、そのまま細胞は生きてるものを
いただくのだと思います
自分が生きてるということを、うれしく思うタイミング
そういうことが、自分のなかに、力をためるタイミング
といっていいかなと思います
そういう意味では、身体との対話ということが、頭に
浮かびます。今、私は起きてすぐのウォーキングから
帰ってきたところです。少しだけ心地よい疲労感と
ともに、足を使うということで、身体のなかに、血液が
ぐんぐん、回ってるという感覚が心地よいのです
あるとき、考えたりするという時に、歩いたほうがいい
という、どこかの本のでの解説がありました。歩くことで
血流が活発になり、考えることというのが、積極的な
方向になるというのですね。一方、これ、気を付けた
ほうがいいのが、なにも「積極的な」考えばかりが
たとえば、会社経営だとかに、いつも「適切な」判断に
なるのかというのは、考えたほうがいいからです
ですが、プライベートなことにしても、ビジネスに
おいても、相当な割合、感覚的には、80%に近いところは
積極的な考えというのは、いいほうの、なにかに結びつくとは
思います
生きるということが、積極性ということを、どうしても
欲しいという、要素がいっぱいあると思うからなんですね
身体、心とともに、疲弊してしまって、やったことが報われない
といった、気持ちが、支配的になってしまうときというのが
あります
そういうときは、要注意といっていいでしょう
なにかの判断をするときに、どうやって、いままでの積み上げた
いろいろの判断のための、やってきたこと、実績といった
ことを、「測る」のかということが、くりかえし
でてくるところです
完全に「測る」「数値化」するというのは、やっぱり難しいし
かえって、無理に数値にするなんてことをしないで、ある一定の
文章なりにして、頭にとどめておくってことが多いのも、思うことです
ただ、この文章で、となると、解釈しだいで、プラスにもマイナスにも
そのときの気持ちで、ニュアンスがでてしまうということも
ありますね。ここらが、また、難しいともいえることです
つかれたら、休む
また、元気がでるようなことをする
それは、おいしいものをいただき、身体と対話、ええ、それは
正解だと思います