河合隼雄

河合隼雄先生が、虹を渡られて16年が経とうとしています
亡くなられてなお、その著作から、学ばせてもらっています
いいえ、もともとリアルで会うということはないのですから
いつも、本のなかで、教えていただいてるという
ことがあります


思い出のマーニー」この本も河合隼雄先生の推薦ということで
知ることになります。人間が変わるということが、どういうことが
要素として、必要なのか、考える、とても大きなものを
もらえたのかなと、思ったりします


四天王寺の講座を、本にした、「カウンセリングを語る」という本は
自分の教科書だと、思いこんで、何度か読み返します
そのなかで、人を育てるということは、植物を育てるのに、似てます
という話を、思い出します。植物を育てるというのは、「待つ」
ということが大事、また「種」の話も、忘れられない話です


もう何十年とか、もっととか、しまいこまれていた、種があった
として、太陽と水と、土が適度に与えられると、芽をだし
葉っぱ、花を咲かせることができる、というのですね


これといっしょで、人間のなかで、なにかの理由で育たなかった
部分に、適度な育つ要素を与えてやることで、それが育ってくる
そういうように、人間のなかの足らないところを、もどしていく
育てていくという、話は素晴らしいと思っています


人を育てる、人を見守るといったときに、こうした、カウンセリング
の考え方というのが、どうしても、必要だと、思うようになりました
そして、カウンセリングらしきものを、するとなると、する側に
十分に「聞ける状態」というのがないと、うまくいかないということも
感じました


聞ける状態、ひとつには、聞くということについてのトレーニン
があるでしょう。こちらがなにかいいたくなっても、がまんして
「聞ける」ということが大事です


もうひとつには、自分が、ぶれない、ゆらがない、気持ちを持ち続ける
ということがありそうです。「聞ける」とつながっていくこと
なのですが、自分自身の生きてる状態が、ぐらぐらしてると
人の話を聞く、どころではなくなるということです


これは、自分が40代後半とか、50代になってから、やっと気が付いた
というか、行動を伴って、できつつあるということなのですが
たとえば、自分自身が活躍したいとか、どんどん思ったりしてると
やっぱり、人を育てるといったことは、なかなか二の次ということに
なりやすいのではないでしょうか


まして、どう生きるかということが、不安で、自分の心がゆれていたり
したら、なかなか、人の話を聞くというのは、「安定して」
という意味では、難しいとなっていくと、感じます


そういう意味で、カウンセリングって、やっぱり安定した自分
生き方とかは、自分のなかで、「軸」を見つけられたということで
できるようになっていくと、思ったりします


河合隼雄先生の著作に出会って、自分の軸をみつけていく
ということが、できた、ということも、言えそうです