相手とのやりとり

自分が相手にされたら、ちょっと困るとかいやだな
という行動について、自分はしていないのか?
そういう、反省というのは、ほしいことだと思います


会話していて、相手のいいたいことを、うまくひきだせる
ようになりたいと、思います。それにはまず思う基本は
「傾聴」ですね。ところがこれ、なかなか難しかったりします
特に、自分自身がなにかをやりたいということに、熱心で
あれば、熱心であるほど、相手のことを、傾聴というのは
難しいともいえます
「受け取る」「伝える」ということのバランスが崩れやすい
ということがありそうです


仲のいい友人とアートの話を少ししていました
上村松園という、明治から昭和前半にかけて活躍した
文化勲章をうけてる、日本画家が、その手記のなかで
素晴らしい芸術を残してる作家は、素晴らしい人間性
もってるものだと、書いてるという話を披露しました
その反証として、太宰治をだしたのですね


この話は、後でまたごく親しい別の人と話していて
太宰治という例外をだすのは、反則?みたいな話と
いいえ、太宰治においても、ある部分をきりとると
すれば(それこそ、人間性といってるところで反則かも)
素晴らしい一面があって・・・
などと話しました


ある特定の分野における、会話、対話というのは
その分野における、知識と、自分がその興味、関心から
行動した、裏付けのある、ストーリィといったことが
あって、面白くなるということがあるでしょう


そうだとすると、やっぱり、相手と会話するということ
なにか、共通のあることを、媒介して、楽しむということ
こういうことは、それぞれ、部分的なある分野に
限られるということはありそうです


半年ほどまえ、京都大学の山極先生の著作から
「人間は、他人とやりとりすることによりのみ、学べる」
という文章に、ゆきあたり、大きくうなづいた自分が
います


たとえば、本から学ぶというのも、広くいえば、作者との
会話ということも言えます。広くでなく、ある掬い取るような
言い方をすれば、やっぱり「生身」で、やりとりして
学ぶというのは大きいでしょう


いっしょに仕事して、ここはこうするのが、今は必要と
あるとき、押し付けといえるかもしれないけど
こういう行動が必要と、直に指導してもらう
または、意見をぶつけて、どうするか決める
こうしたことが、実際、仕事で成果をあげるというのには
不可欠といっていい、やることといっていいのでは
ないでしょうか?


なにか仕事をするのに、知識はぜひほしいことなのですが
ただ、座学とか、本からのみの知識だと、実践でどうする
ということが、あやしいということがありそうです
実践で、こうするということが、何度も身体で、わかって
それが、ほんとうに役立つ知識、自分が使える、知恵であり
やり方といったことになる


料理において、料理のただのレシピを知るだけでは
やっぱり、うまくいかなくて、実際素材を自分で集めて
料理して、自分が使える道具を使って、実践してみないと
そのレシピとおりのものが作れるようになるか、はっきりとは
いえないでしょう・・・