人材育成

私は、人財育成ということに、自分の人生をかけてるのです
そう、言い切れる、自分がいます
それは、なぜ?なのでしょうか


そんなとき、最初は学校の先生志望だったこと
寺子屋で学んだこと、などを、言ってみて、そういう話題
から、他人はああ、そうなのですね、という顔をしてくれます


さて、でもなぜですか?
どうして、あなたは人材育成をしたいのですか?


傾聴ということを、言います
10代で出会った人に、傾聴という点で素晴らしい人が
いて、その人にあこがれもし、またその人と、いっしょに
仕事をしてみたいと思いました


そうして、傾聴ということを、心がけてここまできて
さて、自分が育ててるという人をみたときに、はたして
育っているのか?と、自問自答するのです


生きるということは、大変かもしれないし、またこれだけ
不確実、不透明な時代において、どう生きたらいいかは
本当に、難しくなってると思います
だけど、というよりだからこそ、生きるということに
真剣に向き合って、なにかを感じ、その感じたことを
ちょっとでも、よくするために、生きてほしいのです


若い人が、もっと何かしたいと意欲だした、そういう気持ちを
知るということは、すごいことです。伝わったなと、感じられる
ということは、無上の喜びです。


そう、10代で、傾聴ということが大事で、人に伝えてく
ということが、大事と気づけた自分がいて、まだ気づけない人に
ぜひ、気づいてほしい、そういう気持ちでずっと生きているのです


生き方を学んでいるといってもいいでしょう
家庭で、躾ということが、できないという話がよくでます
たとえば、人と関わるときに、相手が嫌な思いをするような
ことはしないように、そういう極めて、基本的なことを
家庭で、するのができないと、聞きます


そういう基本的なことが疎かになるから、例えば、学校で
そうじをするなんてことが、できない、と、聞きます
一つ先のことを考えて、行動するということがどんどん
できなくなってる、若い人たち


その大本に、傾聴ということ、傾聴から伝わる、伝える
という人間にとって、基本的かつ大事な、生きていくうえでの
行動が、下手になってる、人が浮かび上がるのです


私は五十代の後半になりました
いま、二十代だったりする人の、「批判」に見えることをここに
書いていますが、人は一人一人、個別性があるし、そういう意味で
二十代の人はこれこれ、などと書くのは、失礼千万なことといって
いいでしょう
きっと、世代ではなくて、一人一人の問題とも見えてきて
そうなると、若い世代にも、きっと気づきがあり、なにか
よりよく生きようと、してる、そういう人はいるのだとも
思えてきます


そういう人と会いたいですね