マジックアワー

風景を眺めるときに、朝の日が昇る時間、夕陽が沈む時間
それぞれ、マジックアワーと呼んで、自然が作り出す
美しさを、愛でる気持ちを持っていたいと思います


この週末は、千葉から、富士山に夕陽が落ちるのを
眺めるときを、持つことができました
太陽が、後ろから富士山を浮かび上がらせ、夕陽が染まるなか
富士山のシルエットがくっきりしはじめます


海があって、その向こうに富士山があるという風景って
実際、三浦半島だったり、ということで、割とみてる
風景なのですが、何度みても、その不思議さ
時間とともに変化する、面白さ、色という意味では
どんどん変わるその変化の具合、素敵です


海でも河でも、水辺というのが、朝日や夕陽を楽しくみる
ひとつの、要素として、面白いということがありそうです
水辺というのが、みていて、気持ちが動くというのは
なぜでしょうか?命は水のなかから、生まれてるということに
関連するのでしょうか?


美しさというのも、自然のそれだったりしたら、おそらくは
一瞬一瞬で、同じ瞬間はないのです。厳密にはそうでも
季節、天気、一日の時間で、ほぼ似てる状況は繰り返すと
いっていいのでしょう。そうだとしたら、例えば、今
梅雨の前の、5月の天気が晴れてるときの、海、その海で
見る夕陽の様子というのは、やっぱり繰り返されると
思っていいかもしれません


美しいとき、美しい場所を求めて、絵を描いたり、写真をとったり
ということは、価値があるのだ、と、こうして、マジックアワーと
みる、海をみてきた後には、素直にその価値を認めたくなります
そういう気持ちが、大事とも、思います
人間の心に、潤いをもって、生きていくそういうことなのだと
感じます。


信州、安曇野の、北アルプスを眺める、東山に続く、丘陵地で山を
眺める。ただ、これだけなことなのに、画家の山下大五郎はその
美しさを、キャンパスに表現しました。その絵をみて
安曇野の美しさというのを、認識できたと、思っています。


例えば、千葉や、三浦半島の、海をへだてて、富士山が夕陽に浮かびあがる
風景は、もう何度も、絵にもなってるでしょうけど、美しいものとして
認識されていいのだと思います
いいえ、もう相当な人がそうした、美しさは、見つけているのでしょう


館山湾は、鏡ケ浦と別名があるとのこと
これは、静かで鏡のようだということと、夕陽に浮かび上がるきらきらが
鏡のようだと、そういう二つの意味があるように、思いました


鎌倉とは逆、海に向かったら、右手から太陽は上り、左手に太陽は沈む
たった、それだけの事実なのですが、新鮮でした
海があるだけで、こんなに、気持ちが豊かになるのだと
思った時間でした