成長するということは

人間が成長するということは、どんなことを
言うのか?と、考えます


「感性」という言葉が浮かびます
感性がとてもいい感じで磨かれている。磨き続けている
そんな状態を思います
ひとつには、人と人が関わって、とてもいい感じだという
ことを、受け取る感性があるということかと
思うのです


人と人の関わりのいいもの。たとえば、リスペクト
そして、配慮、思いやり。こうしたことがある
人間関係。かつて、50年とか前の日本人は得意だった
といっていいのではないでしょうか?


過去のあるときを、乱暴に、今より優れている、いい時代だと
固定した考えで、なにかを進めるのは、愚かなことだと
思います
ですが、過去にあって、確かに、大事で、素晴らしいものは
それはそれで受け止める態度もほしいところだと思います


上に書いたように、人間関係において、リスペクト、配慮、思いやり
といったことを、行動する、感じるといったことについて
おそらく50年前だと、今、令和の時代より、優れてるし、実際行動する
という人も多かったのは、感覚としてわかるものです


なぜかは、くどくど書きませんが、少なくとも「濃い」人間関係が
必ず生活のなかにあったということがありそうです


今、令和の時代。この時代だから、ぜひほしい、感性が磨き続けられる
そういう場所、そういう気持ちのありかた、そういう行動。


いいかえると、EQが高い状態といっていいかもしれません
以下引用 EQ入門 高山 直


“EQとは、感情を正確に知覚し認識し表現する能力、思考を促進する
ために感情にアクセスし生み出す能力、感情や感情に関連する知識
を理解する能力、感情面と知的な面の成功を促すために感情を
調整する能力、これら含むものである(Mayer & Salovey 1997)”


この本のなかで、高山はビジネスで成功するために必要な
能力といっていいと、書きます


EQのことを、書かれた本のなかに、日本はEQの国といった学者さんが
いたということがありました
確かに、日本は相手の感情を受け止め、そのことをポジティブに
いかすことがうまい(もしくはうまかった)人が多いと言えるように
思います


人間の成長のひとつの形が、こうした、感性を磨く、EQの高いところに
到達するということと言えるなら、これはビジネスのみならず
「生きる」ということに、ほしい要素だといっていいと思います


なぜ、生きるのか?よりよく生きたいということからでは
ないでしょうか?生きていれば、素晴らしいことにも出会える
そのすばらしさを、一段と濃く、そのすばらしさ具合を受け止めたい
せっかく生きてるのだから、生きてる価値ということを輝くように
感じたい


輝く時間があると感じている、それこそ、生きててよかったという
時間なのだろうと、信じています