メンターとメンティー

1分間メンタリングという本を読みました
メンターという存在が、ひとりの人の、生き方をアシスト
するというのを、小説仕立てで、教えてくれるいい本と
言っていいです


メンターとメンティー。支援する人と支援される人
ただ、読んでいて「そうだそうだ」となったのは、支援する人の
ほうにも、いい影響があるのだ、ということです


支援する。特にある人のキャリアデザインといったこを
見ながら、長期にわたって、その人のことを支援する
このことは、必ず自分自身の生き方ということを、振り返る
そういうことになるのだ、と、容易に想像できます
そして、振り返るというその行為、やってるようでやっていない
それが、多くの人のパターンなのではないでしょうか


メンターとメンティー
ここでは「会話する」ということが、支援の主軸になります
そうしたとき、私が尊敬する河合隼雄先生の著作から学んだ
「カウンセリング」の手法ということが、気になります


まず「聞く」ということについて、トレーニングしている
レーニングを重ねているということが、とても大事です
この聞くということについて、可能な限り「自己一致」してる
ということも大事です
まあ、ここで、「可能な限り」とつけたのは、自分自身の経験で
自己一致しながら聞くというのは、結構難しいのです


もどって、会話するということ
この会話について、いい感じで続けられないと、メンターとメンティー
うまく続けていけないということがありそうです
そこに、メンターといった、やり方のひとつの限界、といっていいことが
あるといっていいかもしれません


ときどき、テレビなどをみていて、思うこと
会話に、「笑い」「笑顔」があるというのは、ときにとてもいい
潤滑油として、その会話を支援するということがあるのは認めます
ところが、特にテレビなどの「のり」といったなかの会話を
みていると「笑いがあることが優先」「笑えることに結びつくことが
一番」といった傾向が強すぎるということがありそうです


笑いがあるのはいいといえばいいのですが
「ごまかす」「自分のことをみつめるということの、邪魔になる」
といった、副作用を感じていることも、大事と思います


1分間メンタリングに載ってる、ストーリィでは、
メンターとして、ユーモアのある経験豊かな人と
一方、メンティーとして、でてくる若い20代の人が
これまた、インタビューがうまいといった、会話が成立しやすい
要素というのを、持っているということが、印象的でした


実際、ユーモアと、インタビューの要素、これはメンタリングを
するというときは、なくてはならない、要素といっていいかも
しれません
さきほど、「笑い」について必ずしも、ポジティブでない
書き方をしたのに、ここでユーモアか、と思ったかもしれません
いいえ、笑いそのものを否定はしたくないのです。ましてユーモアとして
受け流す態度というのも、会話のなかにはほしいとも思います


人と人。当然ながら、ちがう人間ですから、わかりあえる
ところをさがすということが、必要ということもあります
つまり、やりとりを続けていくのには、わかりあえるなにかを
いつも探しておくという態度が、欲しいのだということです


ユーモアとインタビューの要素は
そこに、欲しい、ことだといえるのでしょうね